2008年9月 9日 (火)

またどこかで

数か月前、パソコンがいきなり起動しなくなり、そのままオシャカ。バックアップも殆ど取っていなかったうえに、自分のブログのパスワードまで忘れ、そのまま放置。つうかそれ以前から2年あまりのブログ放置、とっくにパスワードなんて忘れちまってるわねトホホ…。
で、今日唐突にブログの事が気になって、あれやこれや適当なパスを入れていたら、扉が開いた、ってわけ。
その間にあった諸々を、ここに書き連ねてみようかと思わなくもないが、どうも言い訳じみてみっともない。うんと省略して書けば、睡眠不足と飲酒とストレスによる体調不良、ブログに否定的な家族とのすれちがい、ブログ仲間同士の不和を客観的に眺めて感じた「なんだかなあ」な感じ、転職による予想外の多忙、の4点だろうか?
当初の「人間が好き」「好きな事を好きなだけ書ける世の中が好き」的なオメデタイ私の価値観が覆されるような気がして、まったく書けなくなってしまった。
このままサクッと消えてしまっても問題ないだろうと思ってみたものの、アクセス解析には、いまだ定期的に訪れるお客様あり。せめてその方々に一言、ここでご挨拶を。本当に、ありがとうございました。(あと、お正月入れてくださっていた「ニケ」さんのコメント、うっかり消してしまってその後ご挨拶もせずにごめんなさい。)
と、いうことで、ひとまずこのブログはおしまい。でも、もしまた心身ともに余裕が出来たら、違った形で何かを書いているかも。その時は、またどこかで。 (^^)/~~

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2006年11月13日 (月)

ああ、この感じ、懐かしい。

じつに、3週間ぶりに、「座って」パソコンの前にいます~~~(^^;)
部屋ぐちゃぐちゃでとても落ち着いてパソコンできる状態じゃなかったのだ。(^^;)

ちょっとしたきっかけで、部屋の大改装始めたら止まらなくなって・・・
この状態でブログ生活に戻ったらたぶん一生部屋片付かないだろうと思い、そんな事になったら家庭崩壊かも(!!)と、数日間「禁パソコン」を誓ったのが、あれよあれよと十数日。
ついでに酒びたり夜型生活ともオサラバすべくぷち肉体改造(??)よる11時になると自然に目の皮たるむヘルシー主婦に大変身。
コドモとすごす時間も増えて、このままブログなんかやめて、新聞なんか読まずに、「雅姫さん」や「千秋」の出してる本のやうなライフスタイルにしようかしらなんて脳内誘惑もちらほら。

そんなこんなで、イイワケを書いたらキリがないほどいろいろあって、はからずもロング充電、「オマエは曲書けなくなったミュージシャンかよ!」状態でした~~。
気付いたらココログのアクセス解析がグレードアップしてるし、気分は浦島太郎です。

ブログ書くためにスクラップした新聞記事や雑誌だけで、20センチくらいの厚さになってた・・・(^^;)
なのにほとんど頭に入ってないとはナサケナイ・・・・。

これからは、あまり頭でっかちにならずに気楽に細く長く続けていきたいものよのう。
TBやコメントへのお返事も出来ず、本当にゴメンナサイ。m(_ _)m
読んでくれてた友人に、「休むんなら一言書いときなさい!心配するでしょっ!!」と一喝されました・・・(^^;)
日常時間とネット時間って、ずいぶん流れるスピードがちがうのね・・・しばらくは時差ボケだろうなあ・・・

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2006年10月19日 (木)

共謀罪やら死刑廃止やら教育基本法やら

ここ数日、ブログの事はスイッチオフにして、ひさしぶりに映画見に行ったり、人形や小物を整理したり、タイミング良く友人から嬉しい知らせがあったりして、すっかりリラックスモード。

そういやブログ始める前は、毎日こんなノンビリらくちん生活してたっけ。(遠い目)
吸い込む空気の美味しさや、愛する人達と可愛いものに囲まれたほんわかした生活に満足して、こんな日々がいつまでも続きますように・・・って始めたブログだったんだっけ。

それがいつの間にか、TVを観ては怒り、新聞読んでは眉間にシワを寄せ、片手には焼酎、家族の寝静まったあとコッソリ抜け出してはキーボードを打ち込む「不健康オヤジ」みたいな生活になっていた。

こりゃ初心に返って、「しゅふが しあわせを いじするために ささやかに はつげんする ぶろぐ」に戻らねば(爆)

・・・とか言っちゃって、今日も政治ネタリンク3連発なんですけどね。
(^^;)

●その(1)
あの「共謀罪」が10月24日に強行採決?!との情報が。

情報流通促進計画byヤメ記者弁護士
とむ丸の夢
お玉おばさんでもわかる政治のお話
薫のハムニダ日記
華氏451度

●その(2)
コメント欄で、常連の「かぴらつこ」さんに「知らないキャラがいっぱいだ~」と言われてふと気が付いた。
「死刑廃止問題リレー」の詳しい紹介をしていなかったのだ!
ってことで、あらためてご紹介。
「とりあえず」のLuxemburgさんのところの「麗子お嬢様とばあや」+フランス通の「玲奈お嬢様」が死刑廃止というテーマを引っさげて各ブログを訪問する、というココロミに、ワタクシ無謀にも参加してみたのでした。

1回目 とりあえず
2回目 お玉おばさんでもわかる政治のお話
3回目 とむ丸の夢
4回目 華氏451度
5回目 doll and peace
6回目 薫のハムニダ日記
7回目 村野瀬玲奈
8回目 喜八ログ

最後の喜八さんの所では、村野瀬玲奈お嬢様の渾身の翻訳による、
ロベール・バダンテールの演説」全文を、読む事ができます。

●その(3)
教育基本法についてのエントリーは、
お玉さんのところが面白い!!


ホント、たった数日間ワシが平和ボケかましてる間に、どんどんいろいろな事が起きるもんだ。
とりあえず、リンク先に飛んでくだされプリーズ!!!
それにしても皆スゴイ行動力なのだ。ワシはマイペースに行くしかないのだが。(^^;)

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2006年10月17日 (火)

長期メンテでお休みだよ~

毎日のぞいて下さる皆様、あたたかいコメントや中身のあるTBを送ってくださる皆様、本当に感謝々々です。
書きたいこと、お返事したい事は山ほどあって、脳味噌はちきれんばかりのワタクシですが、最近パソコンに向かう時間が激減しています。
それもそのはず、

1) ここのところのミョーな政治情勢でげんなり、
2) 私生活でも行事が多すぎてげっそり、
3) ブログを開けばスパムTB&コメントがワラワラでうんざり、

・・・の三重苦。

さらに17日~19日まで、ココログがメンテナンス期間との事、
ここは前向きに考えて、ちょいと息抜き、ってコトで、休み明けには「三重苦」から開放される予定。(希望)

人形写真でも撮りためて、ひさびさにUPしようかなあ?
それでは、また明々後日!!(*^^*)

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2006年10月 5日 (木)

うまれかわり (ドールコレクターが喋りまくる死刑廃止論)

さて「死刑廃止論行脚」5件目は・・・

華氏さん宅近くの公園を後にした麗子さまご一行、車を走らせている。窓からは、同じような形をした小さな家が積み木のように並ぶ宅地風景。
「まあ。ずいぶんと玩具みたいな家並みね。」そのなかでもひときわ玩具めいた(ピンクの壁に赤い屋根の四角いお家)の前で車は止まる。

玄関を開けて小さな土間をまたぐと、応接間も無く、すぐに「生活スペース」へと通されアゼンとするお嬢様。

「ようこそ。気取っていても仕方ないと思って、あえて普段どおりです。」と、リプトン印の紙のついたティーバッグが入ったストレートティーをお盆に乗せて持ってくる住人「ぷら」。一応「上流階級は紅茶」という思い込みのもと気遣いはしているものと思われる。(ちなみにこのティーバッグは当然再利用される)

お嬢様ご一行部屋を見渡ししばし絶句。「これが噂のコレクタールーム・・・・」壁にも棚にも、床の上にも、無数の「ハードプラスティックドール」や古い縫いぐるみが、所狭しと並べられている。

麗子 「わたくし、大勢の瞳に見つめられて、何だかクラクラしてきましたわ。それにこの狭さ・・・」

すかさず、「いや~ここ来た人は、皆そう言うんですよ~。ワシなんかは、顔の付いたものに囲まれてると、なんかこう、落ち着くというか、癒されてしまうんですけどね~。」と、ぷら。

ふと目をを横にやると、そこには手、足、頭、胴体がバラバラになった人形たちが。

ぷら 「ああ、それはこれから、古くなったパーツを付け替えて、きちんともとの形に戻すの。ぼろぼろになった人形を、少しでも当時の状態に近付けるのも楽しみの一つでね。」

麗子 「人形は、昔からお好きですの?」

ぷら 「子供の頃から人形には癒されていたよ。でも、接し方は今と180度違っていたけどね。」

麗子 「と、いいますと?」

ぷら 「子供の頃はね、人形を壊すのが趣味だったの。」

早口でぷらは続ける。(どうもこの人、自分のトラウマについて語りだすと周りが見えなくなってしまうらしい。)

「今でこそ初対面の人にもタメ口のワシだけどね~。ワシの両親は、それはそれは躾の厳しい人たちで・・・家族の中でも敬語使うことを強制させられてたよ。母親にも、言う事聞かないとしょっちゅうピシピシたたかれてたなあ・・・。口答えするんじゃありません、屁理屈には聞く耳持ちません、って、反論も全く受け付けてくれなくてねえ・・・ものすごいストレスだった。で、それを何で発散してたか、つうと、人形。」

玲奈 「当時はバービーちゃんとかタミーちゃんとか、リカちゃんとかが流行ったのよね。」

ぷら 「そうそう。それで、ワシもけっこう沢山持ってて。で、身ぐるみはがして、髪の毛引きちぎって、手足、首をもぎ取って土に埋めたりして遊んでた。何か、『こうしなきゃ気がすまないっ』って感じの、強い衝動で。母の手作り布人形なんかも、変形するまで引っ張ったり、何度も何度も壁に叩きつけたりしてね。で、人形に向かって、母が私に言ったことと同じセリフを言ったりして。人形に『私』を投影してたんだね。自分がやられてるのと同じ事を、人形にやって辛うじて精神のバランスを保っていたような・・・・。」

玲奈 「うわ・・・ぷらさん、自分が苦しめられたら誰かほかの人に復讐したい、という情動を生々しく経験したのですね。」

ぷら 「自分でもあの頃振り返るとぞっとするよ。だって、『壊したい』って衝動が、人形から小動物へ、最終的には人間へと向かって行ってたからね。たまたまワシが女で『非力』(ナイフ振り回して大量殺人するほどの体力がないという意味で)だったことと、ギリギリのところで、友人や恋人の存在が家族というトラウマから開放させてくれたことが幸いして殺人犯にはならなかったけど、10代の頃は、かなりキワドイ心理状態だったと思うよ。だから、殺人犯の心理もわからなくはないんだ。」

玲奈 「みんながみんなこういう経験を持っているわけじゃないけど、『こんな奴は死刑にしろ』とつるし上げにする前に、その犯罪者の背景を理解しようとつとめることは必要ですよね。」

ぷら 「でも、凶悪事件が起きると、母が言うのよ。『ホントにひどい!こんな犯人、死刑にしても足りない、私が被害者の親だったら、犯人の目玉をくりぬいてなぶり殺しても足りないくらいだ。』ってね。正義感に燃えた、激しい母だった。で、その激しい正義感のために、我が子ががんじがらめになってるって事にも、全く気付いてない。でも『良い子』を演じる事が板についてたワシは、もう反論する気も無くて、笑顔で『そうね。』と答えつつ、心の中では、『その鬼畜殺人犯とオマエの可愛い娘は、もうすでに紙一重だよ~~ん!残念でした!』と、舌を出していたものだ。(爆)」

玲奈 「うわ~ぷらさん、瞳孔開いてきちゃってるよ。大丈夫かなあ?お嬢様をここにお連れしたのは失敗だったかしら?」

麗子(小声で) 「ばあや、私怖いわ。」

ばあや 「お嬢様、もうすこしお話を聞いてあげましょう。言いたい事言い尽くしたらたぶん落ち着くのではと思いますよ。こういう珍しい人の存在を知るのも社会勉強の一部です。」

ぷら 「同じ小学校に、親に酷い虐待を受けている男の子が居てね、うちの場合は主に言葉の暴力とストレスだったけど、その子の場合は体罰。いつも生傷が絶えなくて、おどおどした感じの子だった。殴る蹴るの他にも、煙草の火を押し付けられたり、水のお風呂に入れさせられたりしてるんだ、などという噂がまことしやかに流れていて・・・にもかかわらず、誰もその子を助けようとしなかった

それからだいぶたって、近くの町で女の子が殺された。犯人がその男の子だと知ったとき、『やっぱり』と思うのと同時に、『それでも彼も被害者なんだ』という気持ちが、どうしても消えなかった。『彼は、自分が親にされたことを、自分より弱い子供にしてしまったのだ』って。」

ばあや 「ぷらさん、その男の子にご自分を投影なさったのですね。」

麗子 「ぷらさんにとっては凶悪犯とて被害者。だから死刑には反対なんですのね。」

玲奈 「バダンテールが演説で、こう言っています。
犠牲者の不幸と苦しみについては、それを引き合いに出す人々よりもずっと、私は自分の人生の中でひんぱんに、その影響の広がりを確かめてきました。犯罪が人間の不幸の遭遇点であり地理的場所であるということを、私は誰よりも熟知しております。犠牲者自身の不幸と、それ以上に、犠牲者の親族や近親者の不幸があります。また、犯罪者の親族の不幸もあります。そして、たいへんに多くの場合、殺人者の不幸もあります。そうです。犯罪は不幸であります。そして、感情、理性、責任感ある男女には、まずその不幸と闘おうと望まない者はいないのです。
って。死刑にすることが本当にその不幸と闘うことかどうか、想像力を精一杯はたらかせなければいけませんね。ぷらさんの話のおかげで、少し実感できたような気がします。」

ぷら 「そう、『殺人者の不幸』は必ずあると思う。凶悪犯罪を起こすような人格が出来上がるのには、かならず原因がある。それを解明する事こそが、これから起こりうる犯罪を事前に防ぐ事にもつながるんじゃないか、って、まず考えてしまうなあ。
とはいえ、やはり殺人は罪だから、罰を受ける必要はある。ただ、その罰として死刑はふさわしくない。自分の経験からしかものが言えないけど、無差別に人を殺したくなるほど追い詰められた人間は、自分が死ぬ事も怖くない。現に私自身、殺したい衝動と、自殺したい衝動は常に表裏一体だったし。そしてどうせなら『派手に死にたい』とまで願っていた。

だから、池田小の事件がおきて、宅間被告が『自殺するつもりでやった』と発言したときも、やはりこういう人物があらわれてしまったか・・・という思いは否定できなかった。悲しい事だけど・・・。あと、テロリストなんかも、殉教は名誉な事なんだから、死は恐れないよね。
だから、自暴自棄で死を望む人間にとっては『終身刑』のほうがよほど怖いんじゃないかなあ。人間性が戻ったときに、自分の罪と向き合わなければならないから。自由を奪われた上に死ぬ事もできず、いつかどこかで、必ず自分の犯した罪を悔やむ時が来るから。その瞬間は死よりも苦痛だと思う。」

ばあや 「バダンテール演説には
彼らの行為がどれだけ恐ろしくどれだけ憎むべきものであろうとも、完全な有罪性を持ち永遠に完全な絶望の対象にならなければならない人間はこの地上にはおりません。
という言葉もあります。凶悪犯だって、子どものことはそうではなかったと思います。凶悪な犯罪者に人間性を見ようとする努力をせずに死刑にするような社会は、犯罪者でない人々にも冷たいんじゃないかとも思います。」

麗子 「生まれながらの悪党はいないわけですね。バダンテール『そして、死刑は廃止された』という本には、極悪犯として裁判にかけられた者たちのことも書いてありますが、根っからの悪人はいないように思いましたわ。」

玲奈 「人間を信じないで、死刑制度を残していると、人心がますます荒れていくように思います。」

ぷら 「加害者には、刑務所の中で、とことん自分と被害者に向き合ってほしい。何故自分がこのような人生を歩むに至ったか、なぜ罪を犯したかを、一生をかけて考え抜いてほしい。そして生きているうちに本心からの謝罪の言葉を語ってもらいたい。それこそが、被害者やその家族をも救う事になると。人は変われるという希望も込めて・・・・・。結局、ワシは人の心の可能性を信じたいのかも知れない。」

ばあや 「人は絶望を乗り越えたときに必ず変われると、ぷらさんは信じていらっしゃるのですね。」

ぷら 「お、さすが年の功!わかってらっしゃる~(^^)ってことで、麗子お嬢様、今のワシはぜんぜんコワくないっすよ~。」

玲奈(冷めた紅茶をすすりながら) 「トンデモない人のところへ連れてきちゃったかな~。」と内心苦笑。

ぷら(人形をさすりながら) 「だからまあ、今はこうやって壊れた人形を、元に戻す作業に癒されたりするワケなのだ。
箱入りでほとんど遊ばれていない人形は、髪や衣服の乱れもなく顔も美しくて、そりゃあコレクターの憧れだよ。でも、どこかが欠けていたり、髪の毛やまつげが取れちゃってたり、目玉が中にずれて落ち込んでるような、ほとんど死体のような状態でやってきた人形を修復している時が、一番人形に感情移入している時かもしれないなあ。
ただの『モノ』に向かって、『まっててね、今もとに戻してあげるからね、もとの愛される姿にして、幸せだった頃に戻してあげるからね。』ってつぶやきながら、ヤスリをかけたり、セメダインでくっつけたり、ボディーの内側に手を突っ込んで、目玉やゴムを固定したりする。
人形を再生する作業を通して、過去に壊した人形達とともに、私のタマシイも癒されるっていうか・・・今まで失ってきたものの一部を、人形を修復する事で取り戻してるような、そんな感じなんだなあ・・・。」

玲奈(心の中で) 「やれやれ。すごい感情移入。さすが人形オタクね。」

麗子 「ぷらさん、この人形の量・・・失ってきたもの、ずいぶん多うございましたのね。(やや引き気味)」

ぷら 「調子に乗って、もうちょいうんちくっちゃって(ウンチ食っちゃってじゃないよ、薀蓄っちゃってだよ。)いいかな?・・・・姿かたちの可愛らしさと珍しさで集め始めたハードプラスティックドールだけど、ある時イギリスの売り手さんから、興味深い話を聞いたんだ。」

3人 「ふむふむ」

ぷら 「もともと初期のプラスティックって、飛行機や銃などの部品に使われていたんだって。それが、第二次世界大戦が終わって武器の需要が減って、大量に余ったプラスティックをどうしよう、って事になったとき、その有効利用の一部として誕生したのがハードプラスティックドールなんだって。」

玲奈 「だからハードプラスティックドールは1945年以降に米英でさかんに作られるようになったのね。」

ぷら 「そうなの!万一戦争が長引いていれば、ワシら日本人を殺す道具になってたかもしれない素材が、こうやって子供を楽しませる人形に生まれ変わったなんて、劇的でしょ?!その話をきいて、ワシはますますコイツラが好きになったってワケ。しかも、『人を殺すものが人を喜ばせるものに生まれ変わる』なんて、まるで生まれ変わったワシみたいじゃん。」

麗子 「素敵なお話ねえ。人形の世界から人間の世界を見せていただきました。ぷらさん、私、貴方を少し誤解していましたわ。」

ばあや 「お嬢様、やはり『違う世界』へ来てみた甲斐がありましたね。」

麗子 「違う世界といえば、外国はどうなのかしら。そういえば、何年か前に死刑廃止が取りざたされた韓国は今どうなんでしょう。
そうだ、ハムニダ薫さんというお姉さまが韓国にいるじゃありませんか。麗子、韓国に行きたいわ。韓国料理も食べたいわ。」

玲奈 「それはいい考えです、麗子さん。ばあやさん、いいですよね。」

ばあや 「そうでございますね、お嬢様の勉強になるのでしたら。」

玲奈 「そういえばお腹がすいてしまいましたね。あのかた、喋りっぱなしでしたから・・・・。」

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2006年10月 1日 (日)

日常会話で君が代、日の丸

● 「卒業式に君が代を歌わないだけで処分されるのは、おかしいよね~。」

当然、「うん、やりすぎだよね。」的な言葉が返って来るものと思って発した一言だったが、そのママ友達は、
「でも、卒業式の規律を乱すほうが迷惑なんだから、処分されて当たり前なんじゃない?だいたい、歌うか歌わないかでそんなにゴネてもしょうがないよ。」と当然のように仰るではないか!

「本来子供たちに規律正しさを指導しなければならない立場の教師が、自ら規律を乱すのは好ましくない。」
一見もっともらしい意見だけど、違和感を感じた私は、「でも、君が代の歌詞の意味を知れば、歌いたくない人がいるのもわかる気がするけどなあ・・・。」と、マイルドに突っ込んでみた。

するとそのお母さん、「え?歌詞の意味?何それ?」とケロリ。
問題の本質を一切知ろうともせずに、一方的な情報だけで善悪を判断する姿勢に「頭クラクラ」の瞬間だった。
教師が卒業式を乱してまで、処分されるというリスクを覚悟してまで取った行動には何か理由があるとは、思わないのかね?!

●ここでちょっと君が代の歌詞のルーツ。

今から1100年も前の「古今和歌集」の中に存在した「わが君は ちよにやちよに さざれ石の巌となりて 苔のむすまで」 読み人知らずのうただったらしい。
それが平安末期頃、「わが君は → 君が代は」という形うたわれるようになり、おめでたい場合の舞などに取り入れられ、大衆の幅広い支持を受けてきたのだそうだ。
この時点では、君=天皇とは特定されていなかったみたい。

明治時代になると、「日本にも国歌が必要」と考えた薩摩藩の大山巌らが「君が代」の古歌を選定し、1869年(明治2年)イギリス公使館の軍楽長に作曲させたのだそうだ。
雅楽っぽいアレンジで、曲もかなり古くから付いていたと思い込んでいたので、「メロディーは約140年前の英国製」だった事には少し驚いた。

明治2年といえば、戊辰戦争が終わった年で、この戦争での朝廷がたの戦死者を慰霊するために、東京招魂社(靖国神社の前身)が創建された年でもある。日本が「欧米化」に向けて突き進んでいた時代だと考えると、「作曲は英国人」というのも不思議ではないのかもしれない。「天皇制」自体が、欧米の一神教「キリスト教」をモデルにして作られているわけだし。

そして1880年(明治13年)、宮内省雅楽課の林広守らによって、現在の「君が代」の楽譜が完成されたということだ。ちなみに初演は同年11月3日の明治天皇誕生日で、この時点ではすでに「君=天皇」になっているようだ。で、1893年(明治26年)に「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」において祝日大祭日の儀式で歌うこととされたのだそうだ。
戦前の国定教科書には、以下のように書かれている。

> 我が國の祝日や其の他のおめでたい日の儀式には、國民は、「君が代」を歌つて、天皇陛下の御代萬歳をお祝い申し上げます。
> 「君が代」の歌は、我が天皇陛下のお治めになる此の御代は、千年も萬年も、いや、いつまでもいついつまでも續いてお栄(さか)えになるやうに。」といふ意味(いみ)で、まことにおめでたい歌であります。
> 私たち臣民が「君が代」を歌ふときには、天皇陛下の萬歳を祝ひ奉り、皇室の御栄を祈り奉る心で一ぱいになります。

こうやって、天皇=神という「一神教的な構図」が作られていったんだね。
君が代の「君」が「天皇」とイコールになって、それとほぼ同時進行で欧米化が進み、海外に向けての戦争ばかりの歴史と共に、国民を一つにするアイテムとして登場した「君が代」。
たかが歌なのかもしれないけれど、過去にその歌が果たした役割は、やはり大きかったのだろうと思う。
だからこそ、「君が代」を、金科玉条のように敬う人がいるのと同時に、歌詞を聞いただけで拒否反応を示す人もいるのだろう。

●今度は、日の丸について。

苺に林檎にサクランボ、トマトにイクラにてんとう虫・・・「赤くて丸い」ものに何故か心癒される私は、ハードプラスティックドールにもよく似合う「白地に赤い水玉もよう」の生地が大好き。

「白地に赤ドット」、といえば、連想するのが、母が子守唄代わりに唄ってくれた「白地に赤く・・・」の歌。
日本の国旗、日の丸の歌である。
戦争中もさほど苦労した事がなく、どちらかというと「右」だった母は、「兵隊さんよありがとう」とか「君が代」なども子守唄のレパートリーとしてフツーに唄っていた。私はそれが「フツーの感覚」として育った子供だった。

だから私にとっての「君が代日の丸」は、幼少時の母との思い出の一部でしかなく、個人的には、「国旗に対するアレルギー」は、さほど無いほうの部類だった。
運動会で校庭に万国旗とかが飾られるとワクワクするし、「民族衣装」とか「イッツ ア スモールワールド」的な世界が好きな私は、日の丸のデザインも、けっこう可愛いじゃん、などと思ってしまう事がある。

日出処の天子、那須与一が射た扇の紋様、合戦の旗印など、丸い太陽のデザインの歴史は古いのかもしれないが、「国旗」としては、黒船来航以降日本の船が多くの外国船と接するようになった時、「国籍を見分ける」というような、合理的な目的で使われていたのが最初なんだと思う。

近年でも、オリンピックやワールドカップのような国際的なスポーツで、「競技中にどちらが自分の応援している国かわかりやすくするため」「自分がどの国を応援しているかアピールするため」のアイテム(シンボルマーク)として国旗を使うというのは、理にかなっている。
日本の国旗がはためくのをを見ると熱くなる人にスポーツ好きが多いというのも気のせいではないだろう。私も幼少時、オリンピックで日本が優勝したときに揚がる日の丸にトキメいたクチだ。

でも、「教科書が教えない歴史」で有名な「自由主義史観研究会」のHPによると・・・

> 国歌や国旗に対して敬意をはらわなければいけないのは世界の常識です。
> 行事や式典などで国旗が掲揚されたり国歌が斉唱される場合は、たいていは起立して敬意を表します。
> 国によっては右手を胸にあてたり軍人は額の横に手をあてて敬礼をしたりします。


・・・って、「真ん中に赤い丸がついたり青や赤で模様がプリントされてる一枚の布」に対して、ここまで「敬意」を払わなければいけない理由は何なのだろう?これって偶像崇拝じゃん、って思ってしまうのは私だけだろうか?

そう思い、戦争中の日の丸の扱われ方を少し調べてみると、検索でトップにでた「たむ・たむページ」さんの「国旗・国歌のページ」に膨大な資料が・・・!(以下一部引用)

> 「日の丸」は、外国に対しては標識・船印であったが、国内に対しては天皇制権力のシンボルとしての役割を国民に対して果たした。
> そしてそれは、1889(明治22)年の大日本帝国憲法発布ごろから、析にふれ、事にふれて強調されるようになり、日清・日露戦争のころには戦意高揚の国家スローガンとして利用された。
> その後、満州事変・日中戦争・太平洋戦争へと戦端の拡大とともに、君が代と一緒に、軍国主義・国家主義の高揚の大役を担わされるようになるのである。

> つまり日本帝国軍が、海外、特にアジアにおいて「日の丸」を先頭に武力行使を行い、占領した地域で必ず日の丸を立てたため、中国をはじめアジアの各地域では、「日の丸」を悪魔のシンポルのようにおそれ、僧んだのは当然の帰結であった。


国民に対しても、「国旗を尊重すること即ち皇室の尊崇であり、国旗を尊重すること即ち国体の擁護である」という思想が植えつけられた。
戦地へ赴く兵隊さんにいっせいに日の丸を振って、心の中の悲しみを表に出すことすら許されず、「バンザーイ、バンザーイ。」と繰り返す光景、日の丸にびっしり寄せ書きや千人針をしたものを腹に巻いて敵陣に突っ込んだなんて話も聞く。軍歌や唱歌にも日の丸を題材にしたものは多い。

日の丸を見るとその時の悲しい思い出がよみがえってしまう人、そんな悲しい戦争の思い出が、ずっと「日本の象徴」であり続けることに違和感を持つ人も少なくないだろう。

そんな風に、君が代、日の丸の歴史をふりかえってみて、
「熱心で生徒思いの先生ほどこの問題を深刻に考えてしまう」というのがわかるし、「なぜ戦争で負けたときに新しい国旗や国歌をつくらなかったのだろう?」と不思議に思う。

●よその国を見てみると

国の情勢が大きく変わった時には、国旗や国歌も変えられているし、それらへの接し方も、一部の全体主義国家を除いて日本よりもおおらかでアバウトなようだ。(←お玉さんのところで村野瀬さんが紹介していたページです。)

話はそれるけど、昔みた「まんが日本むかし話」で、題名もわからないのに記憶に残ってる話がある。
村にあるお地蔵さんを、子供たちが首に縄をつけて引っ張ったり、上に馬乗りになったりしながら遊んでいる。それを見た大人たちが、「お地蔵さんを粗末にするでねえ!ばちがあたるで!」と叱りつけて、その後子供たちは、大人の言いつけを守ってはお地蔵さんを丁寧に扱う事になったのだが、ある日大人たちの夢枕にお地蔵さんがあらわれて、「子供たちとあそばせてくれ~。」
それで、今までどおりお地蔵さんと遊べるようになって、子供たちもお地蔵さんも大満足でめでたしめでたし、ってお話。

日の丸、君が代に対しても、このくらいおおらかで良いんじゃないかなあ?
君が代のメロディーの生みの親である英国の国歌も、「女王様」という一人の人を称えた歌詞になってる。そう言う意味では日本と似ていなくもないけれど、英国王室には日本ほどタブーがないように感じる。(英国人じゃないから断言は出来ないけど。)

1950年代には英国ぺディグリー社から、エリザベス女王とチャールズ皇太子、アン王女のキャラクタードールが出ているけど、服を脱がせたり撫でられまくったりしてぼろぼろになる可能性の高い幼児向けの人形を作らせちゃうなんて、英国王室、太っ腹だ。
パンクムーブメント時にもいろいろいじくり回されてるし、ダイアナさんは太った水着写真とか撮られちゃうし、ユニオンジャックもTシャツ、タオルのみならず、ティッシュケース、紙箱や貯金箱なんかの日常品にも使われて日本の100円ショップでも山積みされてるし、良くも悪くもノリが軽い。そしてその分愛されているような気がするのだ。

●私の好きな歌の一つに「イマジン」がある。

「この世から戦争をなくし、国境すらなくすほどの危険な音楽」なのだそうで(← ある友人からこのように紹介されて、大槻ケンヂ氏の「イマジン特攻隊」を読んだ。)確かに、アメリカやイギリスでは、歌うのを禁止している所もあるし、私を統一協会の魔の手から救ってくれたくらいまったく「危険な」音楽(爆)だ。

万一国歌が「イマジン」だったりしたら、たぶん私は嬉しい。
だけど猛反対する人たちが、当然出てくる。そしてもしその人たちに国がなんらかの強制をしたら、私は悲しい。内容以前に、国旗国歌とは、「強制」してまで敬意を払わねばならないもの、神格化しなければならないものだと、私は思わない。

「人間として、日本人として、国旗や国歌に敬意を表するのは当たり前」なんて言ってる輩がいるようだけど・・・想像してごらん。もし日本の国歌が「イマジン」で、それを歌わないと処罰されて、強制的に起立させられ、きちんと歌っているか声の大きさをチェックされる世界を・・・。

喜んで、「イマジン国歌」に敬意を払って起立する気に、なりますかね?
いくら私が個人的に「イマジン」を好きでも、もしそれが、多くの国民を強制させる道具に使われたとしたら、やっぱりイヤだな。そしたらやっぱり、「イマジン強制反対!」とか言ってるかもしれない。
もっとも、「国なんてない事を想像してごらん」って歌詞を、国が歌えと強制する事ってありえないんだけどネ・・・(^^;)

結局の所、私は「国家に何かを強制させられる」のが、イヤなんだと思う。右も左も関係ねえっ!!
そういう意味でも、今回の東京地裁の判決は、画期的だったんじゃないかな。

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2006年9月16日 (土)

だめんず・うお~か~ 「愛」と「美しい」の連発にはご用心!!

護憲ブロガーのお玉おばさんや賛同者の皆さんから、「藤原紀香さんへ自民党から出馬しないで」メールをだそう!キャンペーンのTBをいただきました。

早速お玉さんのところ、
TBもコメント欄も充実していて、皆さんのスピーディーな対応には頭が下がります。
賛同しようと、このエントリーを書き始めたのは9月15日ですが、いつのまにか日付が変わっていました。あいかわらずかたつむりのような歩み、と、今回も、またまた苦笑。^^;)


私はTVドラマとCM、そしてバラエティーでの藤原紀香さんの活躍から、「華やかなのに、芯が強くて知的、そして気取らない」キャラクターに好感を持っており、「ほっとけない世界の貧しさキャンペーン」に参加している事からも、「利己的な部分を越えて行動できる人」というイメージを持っていました。


今回、お玉さんのブログを読んで、彼女(紀香さん)がアフガニスタンを訪問して写真集を出している事、井上ひさしさんと対談した事もある「護憲派」だという事などを初めて知り、「大義なきイラク戦争をいまだに肯定」しているうえに、「改憲を公約に掲げて」いる自民党(安倍政権)から立候補するという雑誌等の噂は、にわかに信じられないと私も思いました。そこで彼女のHPに飛んでみると・・・。

Norika’s Diary 9月15日付けに、

「ちなみにある雑誌にまた選挙に出馬?みたいなことを勝手に書かれていましたが、何度もいうように考えたこともありません。私は私の今いる世界でまだまだやりたいこともありますし、やらねばいけないこともあります^^。みさなん、惑わされないでくださいね^^。」

との一文が。呼びかけに応じてファンレターを書いたブロガーたちへ、「安心してくださいね。」と語りかけているように感じました。(^^)マークに彼女の愛を感じるぜ・・・。
う~ん、今回の一件で、ますます応援したくなったかも。「だめんず・うお~か~」も、観なきゃね!!
ドラマでは駄目男にはまりがちな主人公を演じる紀香さん。でも、リアル世界の「駄めんず」には、騙されてほしくない、いや、騙されるわけがないと信じているのだ。(^^)

つうことで、これだけだと寂しいから、アメリカと日本の「駄めんず」ぶりを、コピペしてみました。(T T)
いくらワシに母性があっても、コレだけは許せないや。つうか、母性があるからこそ、「戦争=人殺し=終わりなき憎しみの連鎖」だという構図に怒りをおぼえるのだ。↓

★『イラク戦大義』「うそ」の徹底検証を

 フセイン政権下のイラクは大量破壊兵器を保有している。それがテロ組織に渡ったら、米中枢同時テロの悪夢が再現されかねない。
 イラク戦争に突き進んだブッシュ米政権は、こうした三段論法で開戦の正当性を主張していた。

 ところが存在しないことが判明した大量破壊兵器に続いて、国際テロ組織アルカイダとフセイン政権の関係を否定する報告書を米上院情報特別委員会がまとめた。

 イラク戦争は超大国による「2つのうそ」によって主導されたことになる。情報はどこで間違ったのか、そこに意図的な情報操作があったのか。同じ過ちを繰り返さないためにも、情報がゆがめられた過程を厳密に検証する作業が欠かせない。

 2003年3月の開戦当時、米国内にはイラクとテロ組織とのつながりを信じる空気があった。ブッシュ政権の高官はそうした趣旨の発言を繰り返し、同年2月に国連で演説したパウエル国務長官(当時)は「イラクはアルカイダ指導者のビンラディン容疑者とも接触していた」と述べている。

 大量破壊兵器についても保有情報が流れていた。こうした環境にさらされた国民が「イラクの脅威」に対する恐れを強め、開戦やむなしの心情に傾斜しても不思議ではない。

 しかし、事実は違った。

 上院の報告書は、イラクとテロ組織のつながりを明確に否定する。フセイン元大統領はアルカイダと付き合うなと命令し、武器や軍事訓練に関するビンラディン容疑者の要求を拒絶していたという。パウエル演説とは正反対の内容だ。

 宗教色の薄いフセイン政権は、もともとイスラム急進派とは距離を置いていた。テロ組織との関与説については当初から疑問視する見方があったが、これが米議会によって裏付けられたことになる。

 真相に迫った報告書は、新たな疑念を提起する。誤った情報がなぜ政府に採用されたかという点だ。

 米中央情報局(CIA)などの一次情報に誤りがあったのか。それとも正しい情報が政権中枢に上がる過程で何らかの加工があったのか。大量破壊兵器の情報でも同様の問題点が指摘されている。

 強大な軍事力を持つ国家が、国際法を軽視するばかりでなく、情報を操作して開戦することが繰り返されれば、国際社会は秩序を失ってしまう。「歴史的なうそ」については、もっと踏み込んだ検証が必要だ。
高知新聞社社説 2006年09月10日

この「うそ」のために、いったいどれくらいの人が犠牲になったんだ?!
911をきっかけにした「テロとの戦い」で逆にテロは増え続けているのですが・・・。
とうぜん、謝罪の記者会見を行って、責任取りますよね!!と、思っていたら、甘すぎた!!↓

★「文明守る闘争終わらぬ」 ブッシュ大統領 同時テロ5年演説(一部引用) 

 大統領は「テロとの戦い」について「われわれか過激派のどちらかが勝つまで戦いは終わらない」と宣言。対テロ戦争を「文明を守るための闘争」と位置付け、中東に住む良識派の人々に向けて自由や寛容の精神、個人の尊厳に基づいた国家建設のため立ち上がるよう呼びかけた。

 米国民に対しては「この戦いに勝つためには国家が一丸となり、断固として努力することが求められる」と強調。「互いの違いを乗り越えて歴史が与えた試練に立ち向かわなければならない」と、共和、民主両党に党派を超えた協力態勢を固め直すよう求めた。

 一方、内外から批判の強いイラク戦争については「フセイン政権の脅威は明らかだった。政権崩壊で世界は安全になった」と正当性を強調。「米国の安全は戦いの成果にかかっている」と撤退の考えのないことを強調した。
東京新聞 2006年09月12日 夕刊一面記事

ありゃりゃ~、これじゃあもう引き返せない、国と国とのデスマッチ宣言・・・でもこれゲームじゃありません。
そんな事に我が国が巻き込まれたらタイヘン!!という心配もどこ吹く風のこの発言! ↓

★「日本政府の判断間違いない」 安倍氏、米上院報告書で(一部引用)

 安倍晋三官房長官は11日午前の記者会見で、米上院の報告書がイラクの旧フセイン政権と国際テロ組織アルカイダの結び付きを否定したことに関し「イラクが大量破壊兵器を所有していると考える合理的な理由があり、日米同盟の関係からも(米国の対イラク)戦争を支持した日本政府の判断は当時として間違いがなかった」と強調した。
共同通信社  2006年09月11日

そうですか・・・安倍さんアメリカのポチだとは思っていたけど・・・やはりアメリカのあやまちを正すべくガツンと言ってはくれませんでしたか。ナサケナイですね。
そういえば、今起きている戦争も、過去の戦争も正当化し続ける安倍さんってどうなのよ?と思っていたら、この保坂さんの記事がとてもわかりやすくその危険性について伝えてくれています。 ↓

★「自衛隊海外派遣恒久法と集団的自衛権容認が生み出すもの」

いよいよ、戦争の足音が聞こえてきた。安倍官房長官の独走体制下で、これまでテロ特別措置法やイラク派遣法など、個々の事態に則した派遣法を大急ぎで国会で作り、自衛隊の海外派遣をしてきた日本政府は、「いつでも、どこでも自衛隊海外派遣」が自由に出来るように恒久法を準備し始めた。まずは、この秋の臨時国会でのテロ特措法の付帯決議に盛りこむ方向だという。武器使用基準も大幅に緩和し、全世界的に「テロとの戦い」に出動するという。

 もうひとつは、現憲法下で「集団的自衛権の行使容認」へと解釈を変更するというもの。これまでの内閣法制局見解は、憲法上の制約に照らして、集団的自衛権を持っているものの行使することには慎重だった。これを、憲法9条の解釈変更でOKにしようというのだから凄い。集団的自衛権とは、軍事同盟関係にある国が攻撃を受けた時に、軍事的に加勢に出かけるというもので、アメリカ軍が攻撃を受けた場合に日本の自衛隊も戦闘に赴くというものである。

 客観的には侵略でも、およそどの国も「自衛のため」に戦争を始める。あのイラク戦争も「アメリカを大量破壊兵器でテロ攻撃する準備をしているに違いない」という事実誤認に基づいた先制攻撃の論理で開始された。集団的自衛権の論理を適用すれば、同盟国がまさに攻撃を受けようとして反撃している「自衛の戦争」に自衛隊も参加できるということになる。ベトナム戦争に韓国軍が参加したのは、まさに集団的自衛権の論理であり、自衛隊がベトナム戦争に派兵されなかったのは憲法9条の制約を超えることができなかったからである。

この歴代政府の憲法解釈を180度転換しようというのである。こうした解釈を是とするならば、朝鮮戦争であれ、ベトナム戦争であれ、近くはイラク戦争に至るまで自衛隊は血を流すべきだったということになる。自衛隊の戦力とは自衛のためのものに徹していて、日本は専守防衛に徹しているという国是は全面変更される。毎日の新聞に「今日の戦死者」が掲載される時代になる。

 大きな戦闘や攻撃を受けて多くの自衛隊員の死傷者が出ることがあるかもしれない。されば、「憲法9条などまったく実態にあっていない。現実と乖離した憲法はただちに改正せよ」と煽り立てる声が大きくなるだろう。誰のために、何のために血を流し戦うのか。今のところ、ブッシュ大統領の軽率な超軍事大国のためでしかない。

 もはやイラクは内戦状態になってしまったという声がアメリカ国内からもあがっている。多数の屍の山が、手のつけようもない宗教・宗派衝突の爆発を起こしてしまったのだ。大義もなく、自衛でもなく、憎しみと流血が絶望的に広がる「テロとの戦い」は、イスラム原理主義を膨張させ「テロリスト」を増殖する。

そこに自衛隊を送り込むわけにはいかない。
保坂展人のどこどこ日記 2006年08月31日

うんうん、そうですよね。保坂さんと安倍ちゃん、どっちが日本の事大切に思ってるか、一目瞭然ですね。昔から、「愛してる?」を連発する男は「駄めんず」と相場が決まってるけど、どうもこれ、政治家にも当てはまりそうだ。
「愛」と「美しい」の連発にはご用心!!

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2006年9月11日 (月)

地雷踏んでもよかですか?

はじめに
布引さん、コメントありがとうございます。
喜八さん、TBありがとうございます。
今回ばかりは、あえてこんなエントリーを立ててしまった私をお許しください。(^^;)

数日前、「あ」さんというかたから「コーソツ主婦の靖国問題(1)」のコメント欄に、

> 「私はこの記事には賛成できなきない思想をもっているが、一部賛成できるところもあるので忠告しよう。
今後二度と日本を侮辱する発言をしないほがいい。」
(原文ママ)

という、「紳士的なご忠告」を、いただいた。
で、ちょっと考えてしまった。(村野瀬さんもご指摘くださっていますが。)
「日本を侮辱する発言」って、どの部分だろう?そこで推理してみる事にした。

「怒れ、戦争体験者」にいただいた二つ目の「あ」さんのコメント

> 反戦洗脳乙

が、ヒントになると思った。
2つのエントリーに共通する事といえば、「先の大戦中、日本国民の多くは権力の犠牲になった」「あの戦争は間違っており、当時の指導者には戦争責任があった」という論調だろうか?
でもそれって、「中国や韓国の反日教育がうんたら」とか、「日教組がうんたら」とか、「最近の左傾化したNHKスペシャルがうんたら」とか言う以前に、事実なんじゃないの?

ワシなんか、ぜんぜん勉強してないから幸いにも(爆)「日教組」の影響は受けなかったけど、周りの年寄りとか親戚とか親とかが、「フツーに」「当事者の目で」語っていた生の声を聞いていた。

ウチの両親なんて、自民党大好きで共産党大嫌い、しかも中国韓国北朝鮮大嫌いの筋金入りの差別主義者だったけど、それでも「戦前の日本には自由はなかった、言論弾圧はあった、大本営発表に騙された、天皇は神だって信じ込まされた」って、繰り返し言っていた。
(どこかのブログで「戦時中の言論弾圧はなかった」なんて記述を目にしたけど、そっちの方が不自然だよね。)

それを「反戦洗脳」とか言われちゃうと、困っちゃうなあ・・・。
そもそも、「反戦」って、いけないことなのか?!「正しい戦争はOK」なのか?!
誰が「正しい」って決めるのか?! 「正しいつもりでいたこの戦争、やっぱり間違っていました」って事が、リアルタイムでも起こってるんじゃないのか?!

私は、人の言葉は極力善意にとらえようと努めているので、「あ」さんが純粋に私のブログが炎上するのを心配してくれているのだと今回は思うことにした。

8月15日に、加藤紘一邸が右翼に放火された事件も、悪意にとらえれば「言論を封じ込むテロだ」「非常に危険だ」ということになるけれど、火をつけた当事者に感情移入して善意に考えてみれば、「自分が大事にしている思想の危機に黙っていられなかった。」っていう側面はあると思う。(だからといって暴力を肯定しているわけではないのだけど)誰だって、自分が信じているものを否定されるのが怖いのだ。

私はイスラム教徒ではないけれど、風刺画で自分の宗教を傷付けられたと怒る人たちがいるのは、わかる。
私は靖国神社の遊就館に展示されている先の戦争を肯定する歴史観を信じていないけれど、靖国に家族の英霊がいると信じている人たちがいるのも、わかる。
自分が信じているものを否定される事、言論に自由の無い世界、宗教・思想を選べない世界ほど恐ろしいものはない。

だからこそ、私がもっとも憎むのは「言論弾圧」と「暴力によって相手をねじふせる事」なのである。
私がいかなる戦争をも憎むのは、「言論弾圧」と「暴力によって相手をねじふせる事」が合法的だという体裁をとって行われるからである。これを曲げるつもりはないし、せっかくご忠告いただいて申し訳ないけど、この事だけは、これからも事あるごとに書き続けていくのだと思う。

「あ」さんが私の記事を「反戦洗脳」ととらえるか否かは「あ」さんの「自由だ~!」
でも、私が自分の敷地内で何書こうと「自由だ~!」っていうのも、認めてもらえますよね。
コレ否定されちゃうと、「すでに言論弾圧は始まっている。軍靴の音が・・・ガクガクブルブル」っていう読者さんを、増やすことになっちゃうからね。そんな北朝鮮みたいな日本には、愛国者としてしたくないですよね!

ちょいと話はそれるが、アキバで演説する時期総理候補の動画を観た。活字を読むかぎりでは、安倍さんと麻生さんの政策に大差はないなんて言われてるし、今週の週刊プレイボーイでの漫画家本宮ひろ志との対談でも「女と歩いていてヤクザに絡まれたら、女を守ってやれるような男じゃないと捨てられる」な~んて、何とも下世話でお子ちゃまな例えで「国防」を語っており、一国をまかせるのは極めて不安な人物であると感じる。

しかし動画での麻生さん、後ろにもお年寄りにもさりげなく気を使う神経の細かさ、気分が悪くなった時に駆け込む場所までご案内、皆を退屈させないオタク系うんちくの数々、超ポジティブなアジアとの関係、最後の握手でバンザイの場面では谷垣さんを真ん中に誘導するさりげなさ、どれをとっても自然でスマート(笑)、曲がったお口までがサワヤカ(!!)に見えてしまいました~~いや~マイッタ。政治家じゃなくて、上司だったら、そして、見識を疑う数々の発言がなければ、一緒に飲んでみたいNO.1だね!3人の中では!(安倍ちゃんなんかカスミまくりよ。)

と、いう風に、たとえ思想信条はちがっても、憎めないヤツはいるわけで、それは他国や他民族や他宗教にも存在するわけで、そうやって広げていくと、私にとっては国境だの民族だのどうでも良くなってしまうのだ。だから戦争はしたくない。ただそれだけだ。

まあなんつか、ぐだぐだ書いてきたけれど、
私の記事にほんの少しでもシンパシーを感じてくださった「あ」さんなら、「話せばわかる。」と信じてエントリしました。これからも好きに書きたいから。読んで不愉快になるのなら、「お宅訪問」しなければ良いだけの話。

でも、万一今度カキコする時は、「オレの個性が光る」HN、考えといてくだされ。他の虫と間違えてうっかり削除しちゃうと困るから。(^^)

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2006年9月 3日 (日)

小出し 続・東京新聞へようこそ

ドラマ「結婚できない男」の阿部ちゃんはステキだけど、金曜日のニュース番組ではステキじゃない方の安倍ちゃんがコレでもかと出まくっていて、ウンザリしてしまった。

報道ステーション。
ワタシは古舘伊知郎大嫌いなので、「どうせゲストをヨイショするような底の浅いインタビューしか出来ないでしょ」と、斜に構えて見てた。

案の定、安倍ちゃんが「自分の国は自分で守れるように・・・」的な発言をしてもなんの突っ込みもしない古舘
すると、安倍ちゃんの左隣にいた佐山展生一橋大大学院教授が、「『守るっ』て言いますけど、要するに人を殺すって事ですよね!」とツッコミ。

「いや、他国に守ってもらっているばかりでは良くない、他国を守ることが出来るようにするのが・・・」というようなことを早口で答える安倍ちゃんに、たたみかけるようにして「守るっていうけど、戦う、つまりは海外に出て行って人殺しをするって事ですよね!」と繰り返し質問。

さらには、「そういう(安倍さんの)方向性は憎しみの連鎖を生み出すだけで非常に危険」「私は反対です。軽い気持ちでやってもらっては困る」と毅然とした態度で釘を刺していた。カッコいい!!
対する安倍ちゃん、ますます早口でカミカミになっていて、面白かった。

この佐山展生って人、有名な「新自由主義者」らしいけど、今回の突っ込みは、在りし日の久米広を思い起こさせるものだった。なのにフル立ちってば、「時間も無いので、この辺で。」って、無難にしめくくってしまって、ガックリ。
次回安倍ちゃんゲストの時も、ゼヒ佐山さん呼んでくれ~。(でも、「佐山が出るならぼくちゃん出たくない~」と、ゴネる気がする。圧力に屈するな!TV朝日!)

つことで、今日の東京新聞の社説コピペ(太字部分はぷら)。(手抜きでスマンです~人形系の更新も公約守れんでごめんなさい・・・。)

政治の基礎は「学習」

新しい日本の政治リーダーには学習する能力と意欲があるのか、国際社会も注目しています。歴史を逆転させないか、日本国民の選択にも世界の眼(め)が光ります。

 国の指導者に不可欠な条件は教養と知性、それらを磨くための学習意欲です。教養と知性こそが状況に柔軟、的確に対応できる下地です。

 政治家に必要な教養の第一は歴史に対する認識です。過ぎ去ったことに学ぶ重要性は、「過去に目を閉ざす者は現在も見えない」というワイツゼッカー元ドイツ大統領の言葉を借りるまでもありません。

 戦前からのリベラリストで、ジャーナリストから政治家に転じた石橋湛山氏が残した文章の一節を紹介します。

■歴史はドラマチックに

 「少なくとも満州事変以来、軍、官、民の指導的地位にあった者は重罪人だ。然(しか)るにそれらの者が依然として政府の要職にあり、あるいは官民の指導者顔で平然としているのは許し難い」

 石橋氏は一九五六年暮れから病に倒れるまでの二カ月余ながら首相も務めました。二男が戦死しているのですが、敗戦二カ月後に早くも靖国神社廃止を主張し、その提言の中にこのように書いたのです。

 戦前戦中のまさに「官の指導者」であり、A級戦犯リストにも載った岸信介氏がその石橋氏の後継首相になったのは歴史の皮肉ですが、終戦記念日に靖国神社に参拝した小泉純一郎首相は石橋氏の心中を察したことなどないでしょう。

 折しも小泉後継の最有力候補は岸氏の孫である、安倍晋三内閣官房長官とされています。歴史はドラマチックに展開します。

 靖国神社には、戦陣に倒れた人だけでなく、戦争を指導し多くの人を戦場に駆り出した人も神として祭られています。東京裁判でA級戦犯として有罪になった人などです。

■求められる知力と努力

 さまざまな問題点が指摘されているとはいえ、日本は東京裁判を受け入れて国際社会に復帰しました。内閣の責任者がA級戦犯の前で手を合わせると、「日本は“戦後体制”を否定するのか」との不信感がアジア諸国に生じかねません。

 「参拝は心の問題」と自分の自由を優先した首相の行動は、首相参拝で痛みを感じる人の心を踏みにじっています。公人の自由の幅は私人のそれより狭く、時には公人が譲るべきなのは民主主義の常識です

 現実に生起する問題はこのように複雑です。ですから、たゆまぬ学習で、もつれた糸をほぐす知力と努力が政治家には求められます。

 加藤紘一元自民党幹事長、山崎拓前自民党副総裁が議論する脇で、小泉現首相は黙って酒を飲み続ける。意見を求められると「おれは決めているから」と言うだけで後は無言-YKKトリオといわれたころ伝えられたエピソードです。

 「信念」と言えば聞こえはいいのですが、これが真実なら“聞く耳持たぬ”姿勢です。多くの情報を積み重ね、多面的に考えることが過ちを避けるための前提条件なのに、学習を放棄してはいけません。

 しかし、問題を単純化して敵をつくって見せ、国民を扇動して自分に引きつけるのが小泉政治の手法でした。「改革を推進する側を選ぶか、妨害する側を選ぶかの選挙だ」「官から民へ」-この五年間、数多くのキャッチコピーが繰り出されましたが、単純化された、分かりやすい表現には必ずうそが交じります。

 扇動が外交に関係するとナショナリズムを高揚させます。「靖国参拝への批判は中韓のいやがることはするなということ」というせりふが典型です。二元論ですまないのは前述した通りなのですが…。

 「批判する方がおかしい」との小泉発言は、大戦を前に中国と和解する道を閉ざした近衛文麿首相の「国民党政府を相手にせず」発言を思い起こさせます。

 参拝を批判した加藤氏の生家への右翼団体員による放火に、小泉流扇動政治の影響はなかったのでしょうか。一部政治家の「ものを言いにくい空気がある」という不安は、事件の背景ではないのでしょうか。

 日中戦争から世界大戦へ突き進んだ昭和初期の雰囲気に似てきた、という昭和史研究家、半藤一利さんの懸念を真剣に受け止めましょう。

 この事件について安倍氏も首相も沈黙していたのは不可解です。首相の意中の人といわれ、参拝容認の安倍氏は、小泉流の政治手法をどう評価しているのでしょうか。国民に披露すべきです。同じく「安倍へ安倍へ」とすり寄る自民党議員の考えも聞きたいものです。

■祖父の遺志継ぐかのように

 政治姿勢における岸氏との距離も問われるべきです。例えば、安倍氏は、改憲を狙って政府に憲法調査会を設けた祖父の遺志を継ぐように、改憲実現を前面に押し出しました。

 日本はなぜ戦争への道を突き進んだのか、現行憲法はどんな役割を果たしているか、安倍氏には、祖父を誇りに思う気持ちを離れて公平、客観的に学んでほしいと思います。

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2006年8月30日 (水)

コーソツ主婦の靖国問題(2) おくればせ遊就館レポート!

8月中旬、靖国神社に参拝してみた。
小泉総理の靖国参拝がなぜ批判されるのか、この目で見ておこうとかねがね思っていたからだ。

平日のためか、8月15日の大イベントを控えてか、境内には軍服のコスプレ人も見当たらず、参拝客もまばら。お賽銭入れて真面目に拝む人数名。白のシャツに黒のスラックスの人たちは「幹部」っぽい雰囲気。いささか迫力不足で特別「荘厳さ」も感じず、そのまま「遊就館」へ。

大きな吹き抜けの無機質な館内。
意外な事に子連れ、外国人、ラフな服装の若者が目に付く。左手には復元されたゼロ戦、エスカレーターを上ると、出迎えてくれたのは馬に乗った「ちょいワル」フェイスの兵隊さんのブロンズ像。
奥へ進むと、
展示室入り口四方に「海ゆかば」の歌詞ほか、戦争関係のうたの垂れ幕と菊のご紋。
古代~戦国時代の鎧兜、弓、刀の展示。それが近代になって金モールの付いた軍服や銃刀類へ。戦争指導者のモノクロ写真の数々。天皇家の肖像画に皇室ご一家の写真パネル。皆保存状態も良く、美しくガラスケースにおさまっている。

ビジュアル的なものを見るのが精一杯なくらい広い館内。古文書の資料は読んでもわからんのでスルー。細長いパネルに延々と書き込まれた年表や、作戦の武勇伝、兵士の残した手紙など、じっくり見ていたのではとても時間が足りなくなりそうなので、映画を先に観る事にした。

映画の上映時間は50分。コイズミも大好きなヨシキとやらの歌声に乗せて、神社の境内が写り、「私たちは忘れない!」のタイトルバック。「フツーの」女の子のインタビュー。
終戦記念日頃になると頻繁に放送される「戦争ものドキュメンタリー」の暗いトーンとはかけ離れた明るい雰囲気の画面


惨たらしい死体やケガ人、焼け野原などの「美しくない」映像は皆無
そのかわりに、自国がどれだけ他国の横暴にあってきたか、それに対し国民がどれだけ勇敢に立ち向かったかを強調
このままでは侵略され植民地にされるしかない日本は、自衛のために戦争をするしかなく、アジアの独立をかけた日本の勇気ある決断に、アジアの人達も拍手喝采
その影で軍部に暗殺されたり、言論弾圧に苦しめられたり、拷問で死んだり、戦地で自決を迫られた人たちのことはオールスルー!
イタリアやドイツなどのファシスト政権と手を組んでいた事もさらりとスルー
満鉄爆破事件までをも「しかたがなかったこと」と弁明
東京裁判では東条英機を「被害者」として美化

複雑な「戦争に至るまでの道のり」を、単純に一面的にとらえ、「とにかく日本は悪くなかった」の一点張り。
しだいに高揚するナレーターの女性の声のテンションはまさに「ピョンヤン放送」もとい「大本営発表」。
この空間では未だ「戦前」の価値観がまかり通っているのか
と、愕然とさせられた。

ふと横を見ると、隣の男性が手でしきりに涙を拭っているではないか

げ、と思い暗い館内を見渡すと、前の方では若い女の人がやはりハンカチを目元に当てている。へぇ~~~っっ???
逆に、お年よりは冷静?で、前の席のおじいさんは、途中で席をたったり、あくびをしたり。正直、こっちのほうがマトモな反応かと思われ。
上映室を早めに出て、後から出てくる人の反応を観察。「今泣いてた?」って感じの、眼球真っ赤な人が数人。いずれも若者だった

ある意味「感動」するのは、当たり前である。
あのビデオは歴史の都合の良い部分だけをつなぎ合わせ、都合の良い解釈をして、感動させるように作られているからだ。それが、何の知識も先入観もない若者の真っ白な心に、うまく入り込むのだと思う。

そして出口には、戦闘機やら戦車やら大砲やら人間魚雷「回天」やらの巨大武器類の展示が、復元も終え「誇らしげに」並ぶ。そして戦火で散っていった「純粋な」英霊のパネル写真
さらにたたみかけるように、お土産売り場では、「のらくろ」グッズや、「つくる会」関係の書籍、小林よしのりなどの本がずらりと並ぶ。

「みんな、感動を、ありがとう!」

「物語よりも素晴らしく美しい真実が、ここにあったんだね。」

「僕達私達、日本人としての誇りを持たなきゃだよね。」

「こんな素晴らしい祖国を守ってくれた英霊達のことを、私たちは忘れない!

そんな気持ちになる「戦争を知らない世代」がいたとしても、おかしくはないと思わされてしまう。
しかしその先に、「私達も歴史の一部になろう!!ヤスクニで会おう!!」という流れがあるならば、危険だと感じざるをえないのだが・・・

(つづく)

ちなみに、このビデオの企画・製作は「日本会議・英霊にこたえる会」。
「日清・日露の大戦から大東亜戦争まで・・・。我が国近代史の戦争の歴史を、当時の貴重な映像で再現し、東京裁判で歪められた歴史の真実に迫るドキュメント映画」なのだそうです。



↓ 「日本会議」とはなんぞや、ってことで、Wikiはすぐにリンクが切れちゃうので、コピペしときました。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本会議 (にっぽんかいぎ)は、日本最大規模の保守主義・民族主義系の政治・言論団体。


愛国主義・反共を基本スタンスとし、伝統的保守主義の立場から提言を行っている。西村慎悟や平沼赳夫、下村博文などの保守系国会議員との結びつきが強い。「全日本愛国者団体会議」などと同じく、各保守系団体同士の連絡機関(労組で言うところの「ナショナルセンター」)の役割も果たしている。一般的には財界系右翼団体と認識されている。

前身は「日本をまもる国民会議」(保守系文化人・旧軍関係者中心。元最高裁判所長官の故石田和外が呼びかけて1978年に出来た「元号法制化国民会議」が改組)と「日本を守る会」(神道仏教系宗教・修養団体中心、神社本庁解脱会国柱会霊友崇教真光モラロジー研究所倫理研究所キリストの幕屋仏所護念会念法真教オイスカ・インターナショナル三五教などがメンバー。カルトと指摘された団体も一部含まれる)。両団体が統合する形で1997平成9年)5月30に発足した。9ブロックに区切られた47都道府県のほぼ全てに支部または類似組織が置かれている。毎月、機関紙『日本の息吹』を発行している。

文化人から政治家財界官僚出身者、宗教家、民族派団体活動家まで各方面の広範・多彩なメンバーを擁し、国益と伝統的価値観に基づき、憲法改定問題、教育基本法改定や道徳教育などの教育問題、靖国神社参拝の推進活動、皇室典範改正や、外国人参政権夫婦別姓人権擁護法案に反対するなどの主張・活動を展開している。

日本会議国会議員懇談会(会長:平沼赳夫)248名の国会議員が属する。

<日本会議の主な役員>
会長:三好達(元最高裁判所長官
副会長:小堀桂一郎東京大学名誉教授
 〃 :石井公一郎(元ブリヂストンサイクル社長・元東京都教育委員)
 〃 :山本卓眞(富士通名誉会長)
 〃 :小田村四郎(元拓殖大学総長・元行政管理事務次官)
 〃 :安西愛子(声楽家・元参議院議員)
事務総長:椛島有三(関連団体日本青年協議会元代表)
理事長:中島精太郎明治神宮権宮司)
日本会議国会議員懇談会会長:平沼赳夫
 〃 会長代行:中川昭一


<関連項目>
憲法改正論議
チャンネル桜
正論
産経新聞
諸君!
SAPIO
日本青年協議会
新しい歴史教科書をつくる会



↓ ついでに「はてな」の方も一部引用(肩書きとかがちと古いね。)

「日本会議」は、日本最大の保守系団体である。「新しい教科書をつくる会」、「北朝鮮拉致家族を救う会」「北朝鮮拉致家族を救うブルーリボンキャンペーン」などの本体である。

 「日本会議」は、
1.憲法改正 
2.教育基本法改正 
3.靖国公式参拝の定着 
4.夫婦別姓法案反対 
5.より良い教科書を子供たちに 
6.日本会議の主張の発信、の6大スローガンを掲げて活動している。

「日本会議国会議員懇談会」の方々
会長麻生太郎総務大臣) 
会長代行:中川昭一(経産大臣) 
副会長:谷垣禎一(財務大臣) 
副幹事長:小池百合子(環境大臣)
副幹事長:安倍晋三(前自民党幹事長)
小野清子(国家公安委員会委員長)
石破茂(前防衛庁長官)

・・・・いや~、そうそうたるメンバーですな。(^^;)

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