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2006年3月29日 (水)

ボリュームダウン

数年前、我が子が「なぜ私は生まれてきたの?」と聞いてきたことがあった。小さいのに、随分哲学的な問いかけをするなあと感心しつつ、「しあわせになるためだよ。」と答えた。まるで自分に言い聞かせるように。
人間には幸福になる権利がある。「シアワセでいたい」と願うのはごく自然なことだ。
私にとってのシアワセは、愛する人達が笑って暮らせる事と、バカバカしいことに没頭できる余裕がある事。

今私は幸福だ。置かれている環境に感謝したいし、私が住む場所を大事にしたい。道にゴミが落ちていれば拾うし、よその子が泣いていればどうしたの?と尋ねるし、町内の見回りなど積極的に参加している。その延長線上に日本という国土があるのなら、私はたぶん、「愛国心」(もちろんこの言葉好きじゃないけど)があるということになるのだろう。

しかし日本の外側にも、世界はある。民族や宗教、話す言葉は違っても、それぞれの国にはそこに住むそれぞれの家庭がある、そしてきっと、誰もが自分の愛する人の笑顔を望んでいる。「幸せを願う心」に国境はない。世界のどこかで悲しむ人を想像すれば、私の心も悲しいのである。

だから私は戦争に反対する。戦争は個人の幸福や築き上げてきた文化を奪うだけではない。地球を壊し環境を破壊する。エスカレートすれば、未来の地球はえらく住みにくいものになるだろう。そうなれば「勝ち」も「負け」も、無い。

少し前に現代アートの展覧会の記事を読んだ。隣り合った部屋に一人ずつ住人が居て、それぞれが音楽を楽しんでいる。片方がボリュームを上げる。するとその音が気になりだしたもう片方も負けじとボリュームを上げる。するとまた片方がさらに音量アップ、それに負けじと・・・・。が、繰り返され、最後に轟音の中で二人とも耳をふさぐ、というものだ。

今の世の中を見ていると、この風景が思い出されてならない。
気軽に音楽を楽しみたいだけなのに、なぜか轟音の中に居る。ふたたび音楽を楽しむためにはどうしたら良いのか、立ち止まって考える時期なのだと思う。

余談になるが、昔、面白い例え話を聞いた。人類は長いお箸を持っている。目の前のご馳走を口に運びたいが、箸が長すぎて食べる事が出来ない。自分だけが上手く食べようと四苦八苦しているのが地獄、長い箸でお互いに食べさせ合っているのが天国、というものだ。
単純な私はこの話が結構気に入り、「相手に食べてもらうための長い箸を持とう。」と思ったのだが、どこかの会社でこの話を「滅私奉公」の美談として取り上げて居たのを見て、「道徳というのは権力に利用されやすく出来とるものよのう。」とすこし悲しくなったのだった。

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2006年3月19日 (日)

見ザル、言わザルで良いのかい?

●一週間足らずでこれだけの動き!無関連とは思えない

ここ数日の新聞記事の見出しを追っただけでも、ワシらは激動の中にいて、選択を迫られているような気になる。買物するにも、カレシ選ぶのにも、そしてこれからの人生を楽しく生きるためにも、「見る目」を持ち、「正しい情報」を知る事が必須条件だ。

で、何が正しいかを判断するためには、片寄った情報ばかり見聞きしていてはイケナイわけで、テレビ、新聞、週刊誌、ネット、書籍、教科書と、あらゆる方向から見たり聞いたりしながら、その中でバランスをとりつつ我が道を行かねばならぬ。時には右に行き、また左にもどり、イソップのコウモリ的なアンテナを働かせつつ、それでも絶対に変わらないコアの部分、「殺し合わない事」「自由を奪う者には従わない事」。

戦前の日本や今の北朝鮮みたいに、言いたい事は言えない、国家が発表した都合の良い情報だけを押し付けられる、そんな社会には、絶対なって欲しくないよね!
「やだなあ、日本は民主主義なんだから、そんな風になるわけないよ。」

●心の問題

ところが、である。
3月13日、都教育委員会は、都立高校の卒業式で「君が代」を歌う際に起立しなかったクラスについて、「教員が適正な指導を行わなかったため」として、教職員への指導徹底を求める通達を出したのだそうだ。これまでにも「国旗と国歌」をめぐって、約300名の教師が処分されてきたと聞くが、今後は生徒にまで矛先が広がるのだろうか。しかも「通達」というのは事実上「命令」に等しいのだそうだ。確か6年前の国会では、政府は「心に立ち入って強制するものではない」って言ってたはず。いつの間にこうなったの?
「心の問題」とかで平然と靖国に行く総理も居るというのに、生徒の「心の問題」には指導が入るわけだ、まいったね。

●お上の言う事だけ信じていればよろしい。

3月14日に東京地裁は「記者が公務員から情報を得た場合、取材源の証言拒否は認められない。」と判断したのだそうだ。つまりマスコミの公務員への取材は犯罪行為になるらしい。で、官公庁にとって都合の悪い情報は国民が知ることが出来なくなるんだそうだ。ジャーナリズムによる権力監視が出来なくなるという事でもある。この件についてはあの櫻井よしこさんまでが「まるで独裁国家だ。」とコメントしている。

●やっぱり新自由主義

そして気になるのが「新聞の特殊指定見直し」&「教科書の特殊指定廃止」。
「特殊指定」・・・初めて意識して聞いた言葉だけど、新聞なら「誰でもどこでも同じ新聞を同じ価格で買えて、戸別に配達してくれる」今まで当たり前と思っていたこれが見直し→廃止されたら、各社の競争によって記事の公共性が薄れるかもしれないし、採算の合わない過疎地への配達が無くなるかもしれない。儲け優先は憲法で保障された「知る権利」を奪いかねない。また、教科書では「売り込みの規制」が緩和される。売り込むための贈答や接待、なんかがOKになるし、上限5万円だった広告費も自由になる。てことは、資金力のある大手出版社が競争で有利になるし、逆に良い教科書を作っていても小さい会社は生き残れないかもしれない。
過疎地では新聞読めず、小さい会社は潰れ、結果的に新聞や教科書の質が落ちて国民が馬鹿になる?権力者にはとても都合の良さげなこの流れ、う~ウサン臭い。

●愛国心と戦争はセットだね。

さらに。3月17日には「憲法改正」に向けた「国民投票法案」の記事が気になった。
与党は今国会で決着付けたそうだけど、そんな重要な事、さっさと決められてはかなわんよ。18日には「教育基本法改正」の記事。この二つの動きはセットなんだろうね。自民党は何としてでも「愛国心」を盛り込みたいように見える。そしてメインは戦争に歯止めをかけている「憲法9条」を変える事。それを与党多数のうちにやっちまおうって、ロコツだね~~~。

●仮想敵国、疑心暗鬼。やられる前にやってしまおう!

海外に目を向ければ、あいかわらずブッシュは「米国は必要があれば相手の攻撃前に武力を行使する可能性を排除しない。」とか言ってるよ。結局イラクにあるはずの大量破壊兵器はガセネタだったのにね。今は核開発問題で対立しているイランが「最大の脅威」なんだとさ。世界にとってはアメリカの暴走の方が「最大の脅威」だと思うのだが・・・。
でも、アメリカより中国や北朝鮮の方がコワくて、アメリカに守ってもらってると思ってる日本人は少なくない。特定アジアから核ミサイルが降って来る、武装したゲリラが海を渡って上陸してくる・・・こんな事考えたら、そりゃあアメリカ様に守ってもらうか自衛隊を軍にするかしないとコワくてやってらんない。でもちょっと待てよ?

●「反戦平和」を堂々と口に出来ない世の中なんて・・・

そんな世の中だから、「反戦平和」なんて訴えてるともはや「非国民」、有事に協力しない平和主義者が戦争をおこすなんて言ってる人もいるよ。え?いつ頃からそうなったの?そういやそんな法案もあったなあ。たしか、国民が「白装束軍団」や「玉ちゃん」に夢中になってる時に、あっさり可決してたんだよね。あの頃は平和が当たり前と思ってタラタラ生活してたなあ・・・。遠い昔の事みたいだ。

●「プチ逮捕」で黙らせろ

そういえば、遠い昔とは言わず中くらい昔に「ビラまき逮捕事件」があったよね。
今お玉さんの所で議論が盛り上がってるけど。去年の秋には、沖縄で反戦の座り込みをしていた僧侶が「公務執行妨害」で逮捕されてる。この事件は沖縄では大きく報道されたらしいけど、こちらではさほど報道されなかったと記憶している。

公安事件を手がける浅野史生弁護士はこの事件について、「起訴価値がない事件でも身柄を拘束し、家宅捜索をするのは活動自粛を狙ってのこと。処分保留もいつ起訴されるのか、と委縮させる効果がある。政府が共謀罪などの成立を急ぐ中、現場ではそれを先取りしているということだ」 と述べている。

今でさえこの現実なのだから、思想そのものを処罰出来る「共謀罪」など成立してしまったら、「戦争反対」なんて口にしたくてもコワくて言えなくなっちゃうんじゃないだろうか?

●これって悪趣味なSF

国民から「声」を奪い、「愛国心」「国家」を強制し、「仮想敵国」を作る事で恐怖をあおり、
「規制緩和」で強いものはより強く、弱いものはより弱く、「知る権利」も「表現の自由」も奪われて、「情報操作」で都合の悪い事は耳に入らないようにしたうえで改憲の是非を問う国民投票、「9条は時代にそぐわない、日本も普通の国になろう」という言葉に騙された国民によって変えられた憲法の下で、一部の新自由主義者のもくろみ通り自衛隊は「海外派遣できる軍」に。さっそくアメリカからお呼びがかかり、侵略戦争のお手伝い。兵士が足りなくなって徴兵制に。イスラム過激派を敵に回した日本国内も無差別テロの矛先に。これはタイヘンな事になったと気付いた国民、声を上げようにもすべて法律でがんじがらめ、テレビも新聞ももはや大本営発表しか流さない。

まあこれは最悪の「シナリオ」だから、日本人はそれほど愚かじゃないし、政治家もそれほど非情じゃないし、未来もそれほど暗くはないだろう。と、信じたいよね。だったらオカシイと思った時点で声をあげないとイカン!と思うわけですよ。

●声をあげることは無意味じゃない!

暗い話ばっかりじゃ胃が痛むって人のため、朗報もあるよ。
東京地裁が出した時代を逆行する決定に東京高裁がNO!
「官公庁に不利な情報は内部告発や情報開示請求訴訟、マスコミの取材・報道で初めて明らかになる。その意味で高裁決定は国民の知る権利とそれを支える取材・報道の自由の重要性をあらためて示したといえる。」(飯田孝幸氏談)
東京高裁ナイス!そして地裁の決定が出た直後から激しく声を上げ続けていたマスコミの勝利かな?良かった。

あと、私も先日話題にした「PSE法」。坂本龍一氏らの呼びかけで7万人の反対の署名が集まったんだって。その結果、流れが少し変わってきた。(ヴィンテージ楽器だけじゃなくて、リサイクル品も助けてもらえると良いのだけれど・・・。)岩国の投票でも思ったけど、自分に無関係ではないと気付いた時、人々は大きな力を発揮するんだなあ。改憲、共謀罪、まだまだ「無関係」と思っている人は多いと思うけど、このエントリを読んで、実は日常生活とも無関係ではないんだよ~、声を出す事は無意味じゃないんだよ~、って事に気付いてもらえたらワタシはウレシイ。( ^ ^ )

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2006年3月17日 (金)

ぷら、やや復活。

今年はたいした風邪も引かず無事に春を迎えられそうだ~と油断していたら、頭痛と悪寒でまる二日間寝込んだよ~(T_T)
おかげで睡眠不足は解消できたんだけど、油切れで、頭も体もゼンゼン回ってない。
文字読んでも頭に入らないし、やりたい事あれもこれもと気ばかり焦って、休んでるハズなのに、気持ちに余裕がない。だいいちビールが美味くない!(←これ体調のバロメーター)

3日間溜めた新聞の見出しナナメ読みでも、ブッシュがイランと北朝鮮を脅威としている発言や、新聞や教科書の規制緩和の動き、東京地裁で出された決定の不気味さ、改憲に向けての国民投票法案の行方など、引っかかる事ばかりなのに、上手くコメント出来ない非力なワタシ。

そんな中、華氏451度さんからツッコミをいただきました!(以下引用)

> ところでなんも関係ないのですが、配偶者を「ダンナ」と呼ばれるのですね。私はヒトが婚姻関係を結んでいる相手を「主人」「旦那」、あるいは「家内」「女房」などと呼ぶことに昔っから軽い(もしかすると強い、かも)違和感があるのですが……その辺、いかがです? いや、そうかと言って「ハズ」「ワイフ」も違和感いっぱいなんですけどね……。「ウチの家内がね~」なんて聞くたびに「春子さんが、とか名前呼んだ方がいいヨ」と眉ひそめ、考えすぎだとたしなめられております。そう言えば先日結婚した親戚の女性が「主人がね」と連発するので、「じゃあ、あんたは家来かよ」と言ってひんしゅく買ったな……。(部“下”とか“庶”民とか“一般”大衆とかいう言葉にも違和感ある。ほんと、考え過ぎかなあ。上下感覚にムチャクチャ敏感で、そのうえ家族の絆とかに割と冷ややかなので、すみません)

・・・華氏さん鋭い!!
実は、エントリの文章書くにあたって、どう書こうかと迷って手が止まった部分が二箇所、それがまさに「ダンナ」と「庶民」だったんです。

ふだん家ではお互い名前で呼び合ってるんだけど、それがまた特殊なニックネームで・・・万一知る人が見ればワシら夫婦の正体バレバレかも、なんで、ここではヒミツじゃ。
それじゃあ何て呼ぼう、ってなった時に、実は一番最初に浮かんだのが「配偶者
」だった。でも話し言葉の延長みたいなこのブログで、いきなり「配偶者」じゃあ、お役所の書類みたいで浮きそうだな・・・だったら一番一般性のある「ダンナ」で手を打とう、って事になったわけ。
主婦仲間の会話でも、「うちのダンナがね・・・。」「そういえば旦那さん元気?」みたいなノリで、最も自然に使われてる言葉だと思うし。もうちょっと山の手に行くと、「宅の主人は・・・」なんて、ざ~ます調は、未だに健在なんだろうか??
間をおいた人との会話で家族の話題が出た時は、ワタシも仕方なく「おかげさまで主人も元気にしております。」などと使ったりするが。

私の両親はアメリカンな人たちだったので(当時としては珍しく「パパ、ママ」と呼ばされていた)父は母の事を他人に言うのに「ワイフ」を使っていた。さすがに母は「ハズさん」とは言ってなかったけど・・・。(この響きレトロだね。)
そういえば私の古くからの友人は、「ダーリン」「ハニー」と真顔で呼び合っていたよ。
でも不自然にアメリカンなのも今はちょっと引くなあ・・・。

で、また日本に戻るけど、配偶者男の呼び名が「主人」「亭主」「旦那さん」「夫」
なのに対して、配偶者女は「家内」「女房」「奥さん」「妻」「ヨメ」
って、どれも封建的だったり演歌だったりな響きを持つものばかりだ。

「妻」も刺身のツマを連想させて脇役っぽいし、配偶者男を「夫」なんて言ってる人なんか、メロドラマでしか見たことない。
ふだん何気なく口にしてるけど、文字にして比較してみると「男の人は雇い主、女は家の中に居る」ってイメージで、
社会進出してる女性も少なくない現代にあっては時代錯誤な感じだ。

配偶者女をあらわすものとしては、「細君」「カミさん」なんかもある。
前者は文豪チックでわりと好きだが、「守ってあげたいはかないもの」ってイメージで、やはり女は弱いものという感覚から来ているのだろうか?
後者は逆で、「神さん=恐いもの」からの連想だと、恐妻チックである。

配偶者男をあらわす選択肢はそれに比べると少ない気がする。
「カミさん」に対応するのが、カタカナで書いた「ダンナさん」とするのが自然ではないか、という苦渋の選択での「ダンナ」表現でしたが・・・何か画期的で自然な夫婦の呼び名って、無いもんでしょうか、ね?!(華氏さん~ワシも辛いのよ・・・。)



> 部“下”とか“庶”民とか“一般”大衆とかいう言葉にも違和感ある。

「部下」とか「上司」とかはねえ、会社だからしょうがないかなあ、それないと組織はやってけないし、と妥協するけど、「一般大衆」てのは引っかかるねえ。じゃあ「一般じゃない人」って誰なのよ、ってなると、会社以外の場所にも上下関係が出来てしまう。
そういえば「セレブ」ってもてはやす風潮もいただけない。あんなの、金のある人と無い人の違いでしかない。しかも、有り余った金で困った人を助けたり寄付したりするわけでもなく、自宅に豪華なカラオケルーム作ったり、無駄に美味いもん食べたり、贅沢生活でついた贅肉をジムやエステで落としたりしてるんだから、人間性を疑う。それに憧れるのが「一般大衆」って構図がさらにナサケナイ。

それじゃあ「庶民」って言葉は?ってなるわけだが、「庶」という文字を辞書で引くと「雑多な」と出るよ。ってことは「雑多な民」って事?(そういや「雑民党」ってあったよね。余談だけど。)で、庶民で引くと「国民の大部分を占める一般の人」とある。
うわーやられた。一部の人にとって、国民の大部分は雑多な民ってことだ!
もちろん前々々回のエントリではそこまで深読みしたわけではなく、小泉さんが「国民、国民」って連呼してるのが気にくわないのであえて「庶民」て使ったわけだけど・・・。
今憲法変えようとしている人たちにとっては、ワシらホントに「庶民」扱いじゃん、笑えない・・・。(T_T)

何気ない日常の名詞の中にも、差別用語満載なのね。華氏さん、ありがとう。
でも気にしてたら会話が「ピー」だらけになっちゃうよ~。&「ちびくろさんぼ」とか好きだったから、サベツ用語に過剰に反応することで消えちゃう文化があるのも悲しいのだ。
都知事が「シナ」発言するのにはすごく頭に来るのだが、懐メロの「シナの夜」とかフツーに歌ってるしね・・・「チンライ節」とか、良いよ~。(^^)

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2006年3月11日 (土)

怒れ、戦争体験者

数日前、突然「ダンナの母」(いわゆる御姑さんね。)が、「3月10日両国に行くけど、一緒にどう?」と言ってきた。
(ちなみに我が家では世間一般の「嫁VS姑問題」は皆無。それはワタシの人間が出来ているからではさらさら無く、あまり自己主張せず縁の下の力持ち的に家事をフォローしてくれる姑の人徳のゆえである。)
物静かで単独行動を好むタイプの彼女が私を誘う事はめずらしいのだが、行き先が「東京都慰霊堂」だと聞いて、二つ返事でOKした。
61年前の3月10日、東京大空襲で多くの一般人が犠牲になった事はもちろん知っていたが、その慰霊施設が両国駅近くにあるという事はその日初めて知ったのだ。

慰霊堂入り口で「東京空襲犠牲者遺族会」の人が配っているビラをもらい慰霊堂敷地内へ。小雨交じりで気温も低かった午前中、人もまばらで、並ぶ事もなく祭壇へ。焼香用の小さな火鉢が並ぶスタイルは仏式で、焼香を済まし手を合わせる姿は皆手馴れた感じがしたが、私は手を合わせたとたん体が熱くなって涙がにじんできて、そこにある魂の重みを体で感じた気がした。泣いているのを姑に悟られないようにするのに必死だったが、泣こうと思っていないのに瞬間的に出た涙は不思議だった。

表に回ると境内は広く、顕花を捧げる人、お線香をあげる人でいくぶん賑わっていた。そこであたたかい甘酒をもらい、あたりを見回した。公園ともつながっていて、広くて綺麗な場所だと思った。お寺風の建物も荘厳で、約10万体の氏名不詳の遺骨が埋葬されているとの事。この場所全体が巨大なお墓のようなものなのだ。そして、その中に私の「顔も知らない親戚たち」も含まれているのだ。

親戚と言っても、ダンナの祖父一族なので、私とは血が繋がっていない。でも私の子供にしてみれば「ひいおじいちゃん一族」になるわけだし、住んでいた場所が戦前の浅草、しかも浅草寺のごく近く、と聞けば、親しみが湧かないわけがない。写真に残るおじいちゃんは着流しに山高帽、けっこう斬新な感覚の人だったらしく、洋食屋か何かを経営していたと聞く。大正から昭和初期の浅草六区の賑わいが目に浮かぶ。
そんな愛すべき浅草の街並みを、おじいちゃんたちの生活を、一瞬にしてすべて奪ってしまった大空襲。10万人以上が犠牲になった大惨事が、わずか2時間の絨毯爆撃で起こったものとはにわかに信じがたかった。

慰霊塔のある大きな本殿からだいぶ離れた端の方に古い建物があり、そちらには殆ど人の流れがなかったが、姑が言っていた「復興記念館」というものらしかったので入ってみた。館内には、関東大震災の猛火で解けて固まったガラスや古銭、古い道具などがガラスケースに収められ、地震の記録などの書類や油絵が展示されていた。その片隅に空襲時の資料の展示場所も設けてはあったが、想像していたよりは遥かに情報が少なく無機質で、空襲の恐怖はあまり伝わってこなかった。

すると向こうで大きな声でしゃべっている爺さんがいる。「こんな、空から見たような絵ばかりで、その下で逃げ回っていた人間の苦しみの、何がわかるってんだ!知らない人には、想像出来るわけがない。火、だけじゃない、物凄く熱い突風で、女子供なんて飛ばされていったんだから。」最初は、館内で解説でもやっているのかと思ったが、そうではないらしい。私のところにも来て、「若い人がこういうところに来てくれるのは嬉しいが、こんなポスター見ても、あの下の苦しみはわかるもんじゃない。」と、言っていた。表情は笑顔の気さくな爺さんだったが、語り口には、やりきれない怒りが混じっているように感じた。

すると、近くに居た別の爺さんが、「いや、わかっているさ、わかっている人じゃなきゃ、こんなとこには、来ないよ。私だって、忘れないために毎年ここに来るんだ。わからなきゃいけないのは、ここに来ない人間だよ。」
私が「その事を、おじいちゃんお元気なうちに多くの若い人に伝えてください。」というと、悲しそうな顔をして、「こんな事言っても聞いてもらえない」とポツリと言った。
あたりを見回すと、私以外の全てがお年寄り、それも70はとうに過ぎたと思われるような人たちばかりだった。

それにしても、(私は未だ行った事のない)靖国神社には訪れる若者が多く、勇ましい戦争を肯定するかのような「遊就館」も賑わっていると聞く。美しいフォルムのゼロ戦や軍艦、心ときめかせる武勇伝や武器の数々に比べ、この記念館の展示のなんと地味な事か。私は焼死体写真ゴロゴロの展示を覚悟して来たのでいささか拍子抜けだった。これでは、戦争の悲惨な真実は若者に伝わらない。私もその場にいる老人達と同じく、焦りを感じてその場を去った。
時刻は昼を回っており、慰霊堂の前は行列が出来ていた。やはりお年寄りばかりが目立つのは平日の昼間だからだろう、と自分に言い聞かせた。

せっかくここまで来たのだからと、江戸東京博物館にも立ち寄ってみた。「江戸」のイメージが強かったのであまり期待はしていなかったのだが、近代の展示も充実しており、懐かしい昭和の建物など充分に堪能できた。
その場所でお義母さんに「戦争が終わった時、どう思いました?」ときくと、「口には出せなかったけど、ほっとしたね。もう死ななくて済むんだって思うと嬉しかった。」という答えが返って来た。
「なかには日本が負けて悲しんだ人もいるんじゃないの?」と続けて聞くと、「居たかもしれないけれど、たいていの人は喜んでいたと思うよ。」と。実は私の母も(決して左の人ではないのに)「やったー!」と思ったらしいので、これは当時の日本人の平均的な思いだったのだろう。
「天皇陛下は神様だ、って信じていました?」との問いには、「まさか。疎開先では信じてる人なんて居なかったと思うよ。でもそれを口にしたら、アカだと疑われて下手すれば拷問にかけられて殺されちゃうから、黙って従うしかなかった。みんな、死にたくないから口をつぐんでいただけ。」
「靖国で会おう」と信じて死んだならともかくも、全く信じていなかったのに信じたふりを強制させられたうえに命を投げ出さなければならなかった現実。庶民は外の「鬼畜米英」という敵のみならず、国内の「権力」という敵とも戦わざるをえなかったわけだ。

博物館の昭和の建物模型の中に、タイルで出来た用水路があった。お義母さんはそれを指差して、「そうそう。軍隊に居たおとうさん(自分の夫の事)が、浅草が空襲でやられたっていうんでおひまもらって駆けつけてみたら一面焼け野原でね。どこが自分の家かも全くわからなかった時、用水路だけが焼け残ってて、そこに自分の家の名前が書いてあって・・・。それから、死体という死体の顔を何日もかけて見てまわったけれど、焼け焦げちゃって、解るわけないよね。結局、家族も親戚も恋人も、すべて失ったんだよ。貯金もかなりあったらしいけど、そんなの証明するものなにもないしね・・・。」(全てを失った「お義父さん」は、政治への不信からか、戦後一度も投票に行かなかったそうである。その彼も数年前に他界した。)
空襲で残ったのは、父親が使っていた煙草に火をつける電熱器のコイルの部分だけだったという。それだけが今でも、我が家の仏壇の中にある。

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2006年3月 4日 (土)

続・知らない間

プロフィールにも書いてるし、エノケンの唄など取り上げたりしている私は、懐メロ好き。とは言っても、本当のマニアのかたは、骨董市やオークションでSP版発掘して、蓄音機で聴いたりしてるわけだから、それに比べたら全然なんだけど。それでも復刻版のCDでは飽き足らず、やっぱりレコードがいいなあと買い集めた版もかなりの枚数になっている。いずれは我が家にも蓄音機を、と、夢を膨らませる事しきり。

音楽でも小説でも絵画でも、そして服や雑貨や人形でも、気が付くと古いものに愛着を感じている私は、骨董市やリサイクルショップ大好き。一言で古物商と言っても、厚化粧のおばさまが経営しているような高級店から、薄暗い倉庫みたいな所でおじさんが手を真っ黒くして作業しているようなお店まで様々だ。私は、あらかじめ価値が決められている前者のお店より、一見アブナイ感じであまり主婦が寄り付かない後者のお店の方に魅力を感じて、過去にもいろいろな堀り出し物を手にしている。

しかし、そんな「蓄音機の夢」も、「掘り出し物ゲットのワクワク感」も、粉々にしてしまいかねない法律が、もうすぐ施工されるらしいのだ。

Under the Sun」で取り上げられていた「PSE法」。
初めて聞く名前だぞ・・・と、詳しく書かれている「そぞろ日記」さんの2月24日・25日の記事に飛んでみた。
正式名「電気用品安全法」、その名の通りに好意的に解釈すれば、「電気用品による危険及び障害の発生を防止することが目的」なのだそうだが、
なんでも、2006年4月から「PSEマーク」の無い電気製品が販売できなくなるらしい。
(以下一部引用、着色)

電動農機具、OA機器、電動厨房機器、電動工作機器、業務用ミシンなど、企業や経営者が使う電化製品はもとより、
楽器を弾く人やDTMをする人は各種アンプ、シンセサイザー、電気オルガン、DTM機材など、音楽やAV鑑賞が趣味の人はレコードプレイヤー、CDプレーヤー、アンプ、コンポ、レーザーディスクプレーヤー、ベータ規格のビデオデッキなど。
ちょっと昔のゲームが好きな人は、ゲーム機本体なども・・・
今年の4月から販売禁止?!

さらには、新品ならびに中古の、電化製品問屋および小売店では、
PSEマーク無しの(販売できなくなることを知らずに)仕入れた商品が・・・
今年の4月から、ゴミ+処分費の負債に変わるって?!

これはあきれたおどろいた。

きっこの日記」3月3日付にも、詳しく、わかりやすく書いてあるけれど、つまりは、古い電化製品は全てゴミにして、新しいもの買わせる事で大企業が潤う法律なんだね。古くても、まだ使えるものを修理して使うモッタイナイの精神もムシ。アンティークやヴィンテージなどの文化的価値までが壊される。処分費がかかることで不法投棄も増えそうだからエコロジーの視点から見てもバツ。リサイクルショップ経営者も利用者もダメージ。ここでも結局古きを捨て、弱いものイジメをするいつものやり口か。
「電気用品安全法」なんて、内容が見えてこない優しいまたは格好いいネーミングも常套手段だ。

「新自由主義」「改革」「郵政民営化」はもちろんのこと、
「国民保護法」は、国民を保護するどころか「戦争に協力しろよ」って言ってるようにしか聞こえないし、「障害者自立支援法」も、自立どころかただでさえお金も力も無い障害者の首を絞めている。「定率減税の廃止」は事実上の増税だし、これからも、美しい目晦ましとドタバタの影で、何をされるかわかったもんじゃない。まるで趣味の悪い手品を見せられているみたいだ。気が付いたら何も無くなっている。

いったんは引っ込めた「共謀罪」や、日本人のモラルの欠如は戦後教育のせいだとして愛国心を押し付けてくる「教育基本法」、新たな権利を加えて誤魔化した上で改定を企む「新憲法」など、国家権力が庶民を牛耳るたくらみが今後も目白押しだ。

私は、2年くらい前までは「憲法9条?現実にあわせて変えても良いんじゃないの~?」と思ってたくちだけど、嘘つきで、ゴマカシばかりで、国民の事を全く考えてないのがバレバレの今の権力者に大事な憲法めちゃくちゃにされてなるものか、と、最近は、常に思わずにはいられない。これからおころうとしている事は、蓄音機の夢が壊れたレベルでは済まない気がするからだ。

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