趣味暴走 <番外編> 母の趣味
前編が「本当に話の合う女友達というのは、とても貴重だった。」で結ばれている。
趣味の話なのになぜそういうハコビになったのか、日数がたってしまったので思い出せない。おかげで後編の書き出しに困るじゃないか、ジブン!!
私は「女同士でつるむ系」の趣味が無い。
学校や子供会の行事などにはガンガン参加しているくせに、主婦の友達が一人もいない。もちろん、当たり障りの無い会話をする仲間や、「この人は感じがいいなあ」とか「PTAの仕事一生懸命やってて尊敬できるなあ」というステキな女性はいっぱいいるが、
「ぶっちゃけ話」が出来て、「私の嗜好および思考を理解してくれる」特殊で心が広くユーモアのある女性は、ジンセーにおいて数人しか出会ったことがないのである。
当時、貴重な女友達とは、主に「恋愛」や「生きる意味」や「神の存在」なんかについて、ちびちび酒を飲みながら朝まで語り合うことが多く、そういった はっきりした結論が出ない話 をぐるぐる考えて言葉にするのが半ば「趣味」だった時期もあった。
(そのころ「大発見!」したことや、影響をうけた言葉などは、現在の私の思考回路にきっちり刷り込まれているはずなのだが、その後子育てでバタバタするようになってからすっかり忘れているようだ。)
そんな友人達から異口同音に指摘されるのが「多重人格っぽい」「憑依体質?」
ってこと。自分では意識してないが、その時々の「モード」でスイッチがオン・オフされるらしい。そういや学生時代、「ヤヌスの鏡」の原作、ハマって読んでたな。それ以前に、「おたくのお子さんは喜怒哀楽が激しすぎて異常です。(←キッパリ。)」と中学時代の担任に面談で言われて、親はさすがに悩んだみたいだ。
話がそれて来たみたいなので、「趣味」の話に戻そう。
前回は自分で開拓した「渋系」(渋谷系じゃないよ)の趣味のお話だったけど、今回は母から受け継いだ趣味のお話。
中原純一とオードリーヘプバーンが大好きな「それいゆ系」奥様だった母は、上品で個性的なファッションや人形が大好き、「モダン」を好む人だった。
私が全く勉強しなくても、友達が出来なくても、その事で怒ったりはしない母だったが、自分の趣味に合わないことには敏感で、近所の子らがみんな履いている「甲のところに漫画のキャラクターがプリントされている靴」とか絶対履かせてもらえず、ワンストラップシューズにレースの靴下が定番だった。
「子供は子供らしく」と、流行の服もほとんど着せてもらえず、夏はギンガムチェック、水玉、小花柄などのスモックワンピース、冬は白襟のビロードワンピースにタイツ、赤頭巾ちゃんみたいな格好もよくさせられていた。
髪型は常に「おかっぱの刈り上げ」で、和風なのに微妙にアメリカン。
♪クル、クル、クレラップ~♪のCMのテイストや、高野文子の漫画なんかに近い感じだった。平井英子のレコードなどもよく聴いていたように記憶している。
かなり年上のいとこ達はビートルズを聴いていたが、母はジャズとクラシック、それに民族音楽が大好きで、特に「カンツォーネ」と「チロル系」と「ロシア民謡」は日本語に訳したものをオペラ風の歌唱でよく歌ってくれた。(最近「歌声喫茶ともしび」復活?のニュースを見て、皆が手にしている緑色の歌詞本、あれ家にもあるよ!と笑ってしまった。当時流行ったのね。)TVから流れるアイドルが歌うような歌謡曲は、「絶対歌ってはいけない」ことになっていた。
そんなんで、部屋にあるつけっぱなしのラジオからは、いつもロシア系の合唱が流れていた。(今思うに、あれはモスクワ放送だったのか?!)
母が嫌うのは「アイドルの出る歌謡番組」と「いかにも子供が好きそうなアニメ」のようなもので、そのために私はTVを観るのを自主規制しており、同級生と共通の話題で盛り上がれない体質になっていった。そのくせ、他の親が子供に見せないような不健康なものはOKで、母の好きなアラン・ドロン主演の映画「太陽がいっぱい」とか「世にも怪奇な物語」の中の「影を殺した男」(原作はポーの「ウイリアム・ウイルソン」)などは、一緒に観ていた。
また母は、寝る前に必ず童話を読んでくれた。よくあるような「お話絵本」のたぐいではなくて、「岩波文庫のグリム童話」を、そっくりそのまま読みきかせたり、日本の民話でも、学者が現地のお年寄りから直接聞き取ったような分厚い本を、一字一句変えずに読んでくれたりした。あの佐川一政が、カニバリズムに興味を持ったのはグリム童話がきっかけだったような事を書いていたが、私もそれらの童話からは、「メルヘン」よりも「血なまぐささ」みたいなものを、敏感に嗅ぎ取っていた。
母は礼儀作法や言葉遣いにもとても厳しい人で、たとえ親子間であろうと、返事は「ハイ」と決められていたし、朝起きてから食前食後、就寝に至るまで、「きちんとあいさつ」がテッテーされていた。食べながら喋ること、ひじをつくこと、ため息をつくこと、足をくずして座ることなど私の一挙一動にもとてもうるさく、もともと不器用な上に、監視されている緊張感から、「常にギクシャクした動き」をしていたように思う。
私は親の期待に沿うべく「良い子」でいなければいけないし、そのためにはたとえ家の中であろうと、常に誰かに見られているように行動しなければいけなかった。ものごころついた頃よりそのような生活で、実はとても疲れ切っていた。
そんな「母の人形」のような押さえつけられた感情が、子供時代の「オヤジ的冒険趣味」や思春期の「ヤンキー的なものへの憧れ」や、それ以降の「アナーキーな行動」へと結びついていって、ますます私を「多重人格的」にしていったのだと思う。
だから、いまだに、母ゆずりの「ゴスロリ好き」「オリーブ少女」的な私もいるのと同時に、「ビーバップハイスクール」や「池袋ウェストゲートパーク」にグッときてしまう私もいるのである。
・・・って、昨日TVで放送された「下妻物語」に影響されたエントリではありませんよ、念のため。(映像綺麗だったけどお話は期待したほどではなかったな、残念。)
いや~今回とりとめがないな~。まあ無理やり「趣味」のお話にしちゃったからね。
つうことで、後編につづく・・・のか~?!
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