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2006年5月30日 (火)

趣味暴走 <番外編> 母の趣味 

前編が「本当に話の合う女友達というのは、とても貴重だった。」で結ばれている。
趣味の話なのになぜそういうハコビになったのか、日数がたってしまったので思い出せない。おかげで後編の書き出しに困るじゃないか、ジブン!!

私は「女同士でつるむ系」の趣味が無い。
学校や子供会の行事などにはガンガン参加しているくせに、主婦の友達が一人もいない。もちろん、当たり障りの無い会話をする仲間や、「この人は感じがいいなあ」とか「PTAの仕事一生懸命やってて尊敬できるなあ」というステキな女性はいっぱいいるが、
「ぶっちゃけ話」が出来て、「私の嗜好および思考を理解してくれる」特殊で心が広くユーモアのある女性は、ジンセーにおいて数人しか出会ったことがないのである。

当時、貴重な女友達とは、主に「恋愛」や「生きる意味」や「神の存在」なんかについて、ちびちび酒を飲みながら朝まで語り合うことが多く、そういった はっきりした結論が出ない話 をぐるぐる考えて言葉にするのが半ば「趣味」だった時期もあった。
(そのころ「大発見!」したことや、影響をうけた言葉などは、現在の私の思考回路にきっちり刷り込まれているはずなのだが、その後子育てでバタバタするようになってからすっかり忘れているようだ。)

そんな友人達から異口同音に指摘されるのが「多重人格っぽい」「憑依体質?」
ってこと。自分では意識してないが、その時々の「モード」でスイッチがオン・オフされるらしい。そういや学生時代、「ヤヌスの鏡」の原作、ハマって読んでたな。それ以前に、「おたくのお子さんは喜怒哀楽が激しすぎて異常です。(←キッパリ。)」と中学時代の担任に面談で言われて、親はさすがに悩んだみたいだ。

話がそれて来たみたいなので、「趣味」の話に戻そう。
前回は自分で開拓した「渋系」(渋谷系じゃないよ)の趣味のお話だったけど、今回は母から受け継いだ趣味のお話。

中原純一とオードリーヘプバーンが大好きな「それいゆ系」奥様だった母は、上品で個性的なファッションや人形が大好き、「モダン」を好む人だった。
私が全く勉強しなくても、友達が出来なくても、その事で怒ったりはしない母だったが、自分の趣味に合わないことには敏感で、近所の子らがみんな履いている「甲のところに漫画のキャラクターがプリントされている靴」とか絶対履かせてもらえず、ワンストラップシューズにレースの靴下が定番だった。

「子供は子供らしく」と、流行の服もほとんど着せてもらえず、夏はギンガムチェック、水玉、小花柄などのスモックワンピース、冬は白襟のビロードワンピースにタイツ、赤頭巾ちゃんみたいな格好もよくさせられていた。
髪型は常に「おかっぱの刈り上げ」で、和風なのに微妙にアメリカン。
♪クル、クル、クレラップ~♪のCMのテイストや、高野文子の漫画なんかに近い感じだった。平井英子のレコードなどもよく聴いていたように記憶している。

かなり年上のいとこ達はビートルズを聴いていたが、母はジャズとクラシック、それに民族音楽が大好きで、特に「カンツォーネ」と「チロル系」と「ロシア民謡」は日本語に訳したものをオペラ風の歌唱でよく歌ってくれた。(最近「歌声喫茶ともしび」復活?のニュースを見て、皆が手にしている緑色の歌詞本、あれ家にもあるよ!と笑ってしまった。当時流行ったのね。)TVから流れるアイドルが歌うような歌謡曲は、「絶対歌ってはいけない」ことになっていた。
そんなんで、部屋にあるつけっぱなしのラジオからは、いつもロシア系の合唱が流れていた。(今思うに、あれはモスクワ放送だったのか?!)

母が嫌うのは「アイドルの出る歌謡番組」と「いかにも子供が好きそうなアニメ」のようなもので、そのために私はTVを観るのを自主規制しており、同級生と共通の話題で盛り上がれない体質になっていった。そのくせ、他の親が子供に見せないような不健康なものはOKで、母の好きなアラン・ドロン主演の映画「太陽がいっぱい」とか「世にも怪奇な物語」の中の「影を殺した男」(原作はポーの「ウイリアム・ウイルソン」)などは、一緒に観ていた。

また母は、寝る前に必ず童話を読んでくれた。よくあるような「お話絵本」のたぐいではなくて、「岩波文庫のグリム童話」を、そっくりそのまま読みきかせたり、日本の民話でも、学者が現地のお年寄りから直接聞き取ったような分厚い本を、一字一句変えずに読んでくれたりした。あの佐川一政が、カニバリズムに興味を持ったのはグリム童話がきっかけだったような事を書いていたが、私もそれらの童話からは、「メルヘン」よりも「血なまぐささ」みたいなものを、敏感に嗅ぎ取っていた。

母は礼儀作法や言葉遣いにもとても厳しい人で、たとえ親子間であろうと、返事は「ハイ」と決められていたし、朝起きてから食前食後、就寝に至るまで、「きちんとあいさつ」がテッテーされていた。食べながら喋ること、ひじをつくこと、ため息をつくこと、足をくずして座ることなど私の一挙一動にもとてもうるさく、もともと不器用な上に、監視されている緊張感から、「常にギクシャクした動き」をしていたように思う。

私は親の期待に沿うべく「良い子」でいなければいけないし、そのためにはたとえ家の中であろうと、常に誰かに見られているように行動しなければいけなかった。ものごころついた頃よりそのような生活で、実はとても疲れ切っていた。

そんな「母の人形」のような押さえつけられた感情が、子供時代の「オヤジ的冒険趣味」や思春期の「ヤンキー的なものへの憧れ」や、それ以降の「アナーキーな行動」へと結びついていって、ますます私を「多重人格的」にしていったのだと思う。
だから、いまだに、母ゆずりの「ゴスロリ好き」「オリーブ少女」的な私もいるのと同時に、「ビーバップハイスクール」や「池袋ウェストゲートパーク」にグッときてしまう私もいるのである。
・・・って、昨日TVで放送された「下妻物語」に影響されたエントリではありませんよ、念のため。(映像綺麗だったけどお話は期待したほどではなかったな、残念。)

いや~今回とりとめがないな~。まあ無理やり「趣味」のお話にしちゃったからね。
つうことで、後編につづく・・・のか~?!

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2006年5月25日 (木)

趣味暴走 <前編>

大好きな水木しげるサンが、自伝の中で、幼少時ほとんど口をきかない子供だったことを書いている。私も幼少時、周囲が「自閉症では?」と心配するくらい無口で、しかもほとんど笑わない子だったらしい。

母は当時にしては珍しく写真を撮るのが趣味で、沢山の写真を残してくれたのだが、その中にピンボケの写真が、一枚だけ混じっている。3歳くらいの私が布団にくるまって笑っている写真。めったに笑わない子が笑った珍しい写真だから、ピントがずれていてもとっておいたのだそうだ。

そんなわけで、周囲に「金のガチョウに出てくる笑わないおひめさま」みたいに腫れ物にさわるように扱われていた記憶がある。ユーモアのセンスの無い石頭の女の子だと思われていたかもしれない。実際には、子供向けのギャグのレベルがあまりにも低すぎて、「笑うに値しない」だけだったのだが。(今はまったく違うのだが、タイプ的には「ちびまる子ちゃんの野口さん」を想像していただければ、わかりやすいと思う。)

当然、「フツーの友達」と気が合うわけがなく、近所でも嫌われ者の上級生の女の子とつるんで、休日の工場に忍び込んでベルトコンベアーの上を歩いたり、沼みたいなところに足の付け根くらいまでズブズブはまって助けられたり、線路に沿って歩いてつくしを取っていたら半分腐った猫の死骸を発見したので観察したり、今振り返って考えてみるとロクなことしてない。

その上級生はイジメにあっていて、世間をうらむ気持ちが強かったうえに、オカルトにも詳しかったので、二人で「薬草」を探したり、ワラ人形を作ったりしていた。(時代が時代なら、魔女裁判で死刑!!だったかも、と、とりあえず今の時代に生まれたことに感謝。)結局、「あの子とは遊んじゃいけません。」ってことになって、堅気?の生活にもどるわけだが、なんだか妙に懐かしく、ワクワクした気持ちだけが残っている。

さて、つるむ友達もいなくなった私がはまったのは、「モノ集め。」
シール、折り紙、カードと、見た目の美しいもののコレクションから始まって、当時は「タダで」集めることが容易だった「石」「貝」さらには「苔」へと進化し、拾ってきた石に油をつけて磨いて光らせたり、貝殻の種類を図鑑で調べたり、それらを組み合わせて「箱庭」をつくったりして楽しんだ。小学校低学年女子どもには誰にも理解されないシブい趣味である。

その後、小学校中学年では「切手」、高学年では「スーパーカー」と、一応「流行りモノ」の趣味にもうつつを抜かし、同時に、「なぜか立ち読みしほうだい」の本屋の常連になり、小学生の分際で、「エロ劇画」とか「世界のミイラ」「心霊写真集」みたいな見てみたいけど買って家に置いとくのはイヤだ系の本とか、「ガロ系漫画」とかを読み漁っていた。

中学に入り、周囲女子が「少女マンガ」「アイドル(当時は「たのきん」)」「ニューミュージック」などの話題で盛り上がっているのも全く理解できず、(つーか、ユーミンや竹内まりやの「女心」ってナニよ?いまだに理解できん!!ちなみに後に流行った「トレンディードラマ」とかも、主人公の気持ちに全く感情移入出来なかったっ!!怒怒!)でもファッションにはちょっと興味があったので、「プラスティックスのチカちゃん」とか、「キヨシロー」とかのファッションを真似たりしてたら、「ジューシーフルーツのイリヤ」に似てるといわれて、チョイ落ち込んで、「ワシにはショートヘアは似合わんな・・・」と悟ったり・・・

そんな調子で、スポーツ関係では「相撲」しか興味が無く、大人になっても「ブランド物」も「海外旅行」も「食べ歩き」も全く興味が無く、(いやこれは単に「ビンボー」だったからできなかったと言えなくも無い)、当然「美容」「コスメ」「ダイエット」なんぞにかける金があったら、「古本」「レコード」に化けていたわけで・・・。そのレコードの大半も、「ジャーマンプログレ」と「戦前の歌謡曲」だったりするので、一般の家に「パソコン」つうものが無かったから「インターネットで趣味を共有」なんて夢物語だった当時、本当に話の合う女友達というのは、とても貴重だった。  

つづく

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2006年5月24日 (水)

ひ~

連日外出、今日は夕立、カミナリ苦手だからパソコン開けるのコワいよ~

書きたいことためまくりなのだが、いつゆっくりパソコンに向き合えるかわからん~~

Denntyuus

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2006年5月11日 (木)

トカトントン

私は日ごろ周囲から「アツくてパワーのある人」と思われる事が多い。
声がデカイ、よく笑う、態度に落ち着きがないなどからそう思われているのだろう。いったんハマッたものには、周囲の反対を押し切ってもまっしぐらな部分もよく指摘される。ところが、恐ろしい事に、冷めると手のひらを返したようになってしまう。何事もなかったかのようにどうでも良くなってしまうのだ。

明日のジョーのように、一つを極めて燃え尽きたのなら本望だろうが、私の場合は何事にもそこまでアツくなれない。太宰治の小説に「トカトントン」というのがあるけど、あんな感じで、「オレなにやってんだろう」モードに突然入ってしまうのだ。

この「ムラッ気」、「躁鬱」かと思っていたら、心理テストでは「分裂」と出た。
私がすごく分裂気質だと思う芸能人は「ビートたけし」なのだが、彼が以前「公衆トイレを使って出る時、キレイにしないと気がすまないんだよな。次の人にオイラが汚く使ったって思われるの嫌だから。」みたいな事を言ってた時、大きくうなずいてしまった。あのたけしが、人の汚物まで掃除している所を想像して、嬉しくなっちゃった、てのもあるけれど、私にも「同じクセ」があるからなのだ。公衆の場所をキレイにしたくてたまらない衝動と、常に戦っているのだよ~ワタシも。(何と素晴らしいボランティア精神!)でもコレ本っ当「自分のため」なんだよな~。

で、そんな時って、いつも「自分」がいて、「自分を見つめる他人の目」があって、さらに「他人の目を気にする小心者の自分をせせらわらうもう一人の自分」がいるっていう三重構造になっている。この状態が続くと「トカトントン」になってしまうわけだ。
昔はそれがひどくて、歩いていても「トカトントン」、笑っていても「トカトントン」、いきなり「スイッチオフ」になっちゃう危険極まりない人物だった。そういう時って、痛みも感じないから、ためしに腕を切ってみたりしても、痛くない。電車のホームで「トカトントン」だった時なんて、かるーい気持ちで「飛び込んじゃおうかなあ」とか思ったりして、クボヅカの事を笑えないくらいヤバかった。でもなぜ実行しないかといえば、まあ、「それを引き止める自分」が同じくらいのバランスで居るからなのだろうけど。

静止している物体がある。何も力が加わってなくて静止してるんじゃなくて、あらゆる方向からものすごい力で均等に引っ張られている事で止まっている、心はそんな感じなのだ。

これ、物心ついたころからだと思う。病気というよりは気質なんだろうと思う。
幼少時、電車に轢かれそうになった事があるが、その時の鳴り響く警笛の音と、運転手さんのあせった顔は今でも覚えている。自分が死にそうな場面なのに「ああ、うんてんしゅさんあわてているなあ。人殺しになっちゃ困るもんなあ。」と考える余裕があった。
たいした事じゃないと思って親にも言わなかったら、たまたま目撃していた近所の人が報告しに来て、「あんた一歩間違えたら死んでてかもしれないんだよ。守ってくれた神様、仏様に手を合わせておきなさい。」(母は信心深い)と言われた。

小学生時代、父が膨大な借金をして、家にヤクザが嫌がらせに来た。何とブルドーザーかショベルカーみたいなもんで乗り付けてきて「家ごとぶっ壊したるぞ~」と、外で叫んでいた。(母が「危険だから見ちゃいけない隠れてなさい」と言ったので、音しか聞いてないのだが。)その時の状況が、もう自分ちの事なのに可笑しくて、「何でヤクザが?ブルドーザーで!!」って、まるで他人事のように思いながらわくわくして隠れていた。

この現実感の無さは幼さゆえだと思っていたのだが、母が死んだ時もセンチメンタルな気持ちよりも「とにかく死に顔を美しく」って事がまず最初で、やけに冷静な自分に突っ込みを入れるもう一人の自分とかもいて、後から聞いた話では、「ちっとも悲しそうに見えなくて不気味だった」らしい。

漫画家の蛭子さんは、親が死んだ時に可笑しくて笑ってしまったと堂々と公言していて、最初その話を聞いたとき「随分ひどいなあ」と思ったのだが、父がいきなり事故で病院に運ばれた時、今考えると本当にそれは酷かったのだが、置かれている状況があまりにも悲惨なのが嘘のようで、やっぱり笑ってしまったのである。
(分裂気質と私が勝手に判断する漫画家は他に山野一と相原コージ。最近はトシのせいかマンガはあまり読まない。ケロロ軍曹とデンジャラスじーさんは好き。すげえ横道。)

若い頃は男女の修羅場(時には刃物アリ)にもよく遭遇したが、「皆さんこの位の事でよくあそこまで熱くなれますなあ。」というのが正直な感想。好きな人が目の前で警察に捕まった時も、友人が自殺した時も泣けなかった。よく知る友人などは、「ほんとにアンタは修羅場練れしてるね~。」と笑う。「修羅場慣れ」なんて、したくないが、それらは私にとってはどこか滑稽なのである。

信念を持って必死でやってきた事や真剣に悩んでいた事が、突然無意味になる瞬間がある。必死で謎解きしていた「エヴァンゲリオン」の最終回とか、ホドロフスキーの「ホーリーマウンテン」のラストシーンとか、水木しげるの短編「錬金術」などには同じ匂いを感じる。混乱のあと、一瞬目の前が真っ白になるような脱力感と静寂。絶望ではなく滑稽。
「なぁ~にやってんだか。」って感じ。

「無駄無駄無駄ァ~!!」っていう声も聞こえてきそうだけど、そうなると「もう一人のアツい私」が黙っていない。
「お前は『尖った光るもの』を見つけるために生きている。」「やり遂げる事に意味がある。」「意味の無いことなど、一つもない。」

何かの精神科の治療で、やる気の起きない人には、一日中寝ていてもらうのだそうだ。本人がもういい加減寝ているのは飽きた、と思っても寝かし続けると、やる気のなさが治ってしまうという。これって本当なのか笑い話なのかさだかでないけれど、コレと同じようなことを無意識にやっている。

「トカトントン」モード突入の際は、とことん「何もしない。」とは言っても仕事には行けるほどの余裕はまだあるのだが、出来る限りのスイッチをオフにして、ひたすら何も考えずにだらだら寝過ごすと、いきなり「こうしちゃおれない!!」とスイッチがオンになる。
そういうわけで、とんでもない時間にこんな事してる。馬鹿である。

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2006年5月 4日 (木)

ハシゴ

きのうの憲法記念日、フツーにお仕事でした。
夜になって、やっと一息ついてテレビ見てたら「News23」で憲法の前文を声に出して読んでいた。(いろんな人にバトンタッチしてリレー式に。)
文字で見るのとはまた違った印象で、すごく心に響いてきた。
よく耳にする「護憲」「改憲」以外にも、「加憲」「創憲」そしてそれらをもっと論じ合おうということで「論憲」なんて言葉もあって、ナルホド。

この時間帯はNews番組がいい感じにずれてて、「ハシゴ」が出来る。
フジの「ニュースJapan」ではすでに改憲モードで「国民投票法案」の事が主な内容だったが、箕輪解説委員(でいいんだっけ?)が、「きちんと議論するためには正しい情報が必要なので、メディアにおける報道の規制はすべきではない。」というニュアンスのコメントをしていたのが印象に残った。

「今日の出来事」では、憲法関係のニュースは見損ねたけど、数回に分けて「広がる格差社会」の特集を組んでいて、毎度考えさせられる。

ちなみに、「報道ステーション」は、10時台にウラ番組を観ている事が多いので、あまりチェックしてないのだが、たまに観ると、そのたびに見事に期待を裏切られる。
4月の末にも、新聞の番組欄には「共謀罪」の特集があるように書かれていたのでずっと観てたが、けっきょくやらなかった事があったし、古舘一郎の「浅さ」にもいつもゲンナリだ。

憲法記念日翌日、ってことで無理やりのエントリだったけど、明日こそマジメに書きますよ~。&いつも「ハードプラスティックドール」をクリックしてくれてる人形ファンのお客様も、人形ネタごぶさたでスマンです~。(^^;)

それでは、みょうにち。

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