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2006年7月29日 (土)

パレスチナ問題 (後編)

布引洋さんから、昨日のエントリーにコメントをいただき、私が「まんが パレスチナ問題」を読んだ感想として、後半で書きたかったけどどう説明してよいか思案中だった事を、布引さんが的確に書いてくださいました。(^^)
(以下色字が引用部分)

> 日本の市民に届く中東のニュースは、欧米の「マスコミ」・日本の「マスコミ」という二つの偏光したフィルターを通って来ます。
> 二つのフィルターを通る間に当然大きく変色してしまいます。
> 日本人の知っているパレスチナ情報は、欧米の見方(願望)でしかなく、事実では有りません。

私も(ただでさえ日本人とってわかりにくい問題なのに)マスコミの報道に振り回されている感じを否定できません。数日前、イスラエルがレバノンの国連施設を爆撃してパレスチナ人以外の死者が出たことで、やっと「イスラエルの過剰反応」と言う声も多く聞かれるようになりましたが、それまでの(私が見た限りでの)TV報道では、
「ヒズボラの存在意識はテロのみにある」
「兵士を拉致したヒズボラには、事態を泥沼化に持ち込んで世界を注目させる目論見があるのではないか」
「一方のイスラエルはヒズボラ壊滅を狙っている」

なんて、まるで「テロと拉致しか手段のない犯罪集団 VS 犯罪集団の壊滅を狙うイスラエル」みたいに見えてしまうような論調がまかり通っていて、「自らの存在を誇示するためにイスラエルを挑発したヒズボラが悪い」なんて信じている人が少なからずいるんじゃないかと、心配になってきたものでした。

流される映像も、「ヒズボラからの攻撃」と題して、「泣き叫ぶ金髪の女の子」の映像を流すなど、「ヒズボラ=悪」という刷り込みを感じるものが少なくなかったように思います。実際の死者の数を見てみれば、「イスラエルの攻撃」と題した「泣き叫ぶパレスチナ人の子供」の映像が10倍の多さで流されなければ嘘でしょう?と思ってしまいます。

そんなおり、東京新聞の「特報」で、こんな記事を載せてくれました。(以下引用)

2006.7.25 ガザで取材中 照準はわれわれに
 イスラエルによるレバノン攻撃が拡大する中、イスラエル南部のパレスチナ自治区ガザでもイスラム原理主義組織ハマスなどによるイスラエル軍兵士拉致をきっかけに市民を巻き添えにした攻撃が展開されている。現地で取材中のジャーナリスト大月啓介さん(32)は市街地で銃撃され助手とともに負傷した。普通の人々の中で起きている“戦争”の今をお伝えする。

 今月十六日、私は人口約三万二千人のガザ北部の町ベイトハヌーンで、サマーハという少女の家族を訪ねていた。サマーハは中学一年生の十二歳。二年前にイスラエル軍がこの町へ“侵攻”した際に狙撃兵に頭部を撃たれ、脳を損傷し瀕死(ひんし)の重傷を負った。しかし彼女は驚くべき回復力で今では歩くことも、少し複雑な会話もできるようになっていた。

 私たちは再会をよろこび合ったが、この日、街は再びイスラエル軍の侵攻にさらされていた。上空からは無人攻撃機が、街の中心部では戦車と軍用ブルドーザーが住民ににらみをきかせている。私と助手のパレスチナ人アブハリール(32)は侵攻の状況を取材しようと彼女らの家を後にし、二キロ北東の戦車が展開する地域へ向かった。

 私たちは慎重に身を隠しつつ、三階建ての民家の屋上からイスラエル軍の視界にさらされないよう撮影を始めた。しかし、周囲の状況から判断して、すぐにこれ以上は危険だと感じ、撤退することにした。

■助手に威嚇攻撃自分も腕を負傷

 一階へ下り、玄関外の壁の陰で、どのように身を隠しつつここを離れるかと考えた、その時だった。「パーン」という銃声が響くと同時に、右手にチリリと痛みが走った。とっさに家の中に身を隠したがアブハリールが、「足が! 足が!」と叫んだ。見ると、彼の左足から大量の血が流れている。一体、どこから撃たれたのか。

 「どこか」に身を潜めた狙撃兵がわれわれに照準を合わせているかと思うと背筋が寒くなった。優秀なイスラエル軍のスナイパーがわれわれのような静止していた標的を撃ち損じることはまずない。そしてわれわれが明らかに東洋人のジャーナリストとその助手だということはスコープを通して確認しているはずだ。彼らはジャーナリストへの威嚇としてアブハリールを狙い撃ったのだ。

 私は撃たれた助手のひざを縛り、一刻も早く彼を病院へと運ばなくてはいけなかった。しかし、ベイトハヌーンでは救急車も攻撃の対象になっていた。

 「外国人ジャーナリストが、白旗を掲げて負傷者を運ぶ」という常識的には攻撃の対象とはなり得ない方法でも、ここではあまりにリスクが高すぎる。実際、かつてガザで白旗を掲げていた英BBC放送のイギリス人カメラマンが、狙撃により命を落としている。

 私と居合わせた住民で負傷したアブハリールをかつぎ、身を隠しながら密集した家々を伝い、壁をよじ登り、フェンスをこじあけ、彼を救急車に乗せられる安全な場所までたどりついた。周囲の民家の住人に手を貸すよう求めたが、彼らも狙撃を恐れてか家の外に出ることはなかった。

 ベイトハヌーン内の病院にたどりつき医者の「命に別条はない」という言葉を聞くと、一気に力が抜け、私は自分の腕の痛みと出血に気がついた。小さな傷口に似合わぬ量の出血だった。アブハリールに当たった銃弾の破片によるものだ。

 そこに新たな救急車が到着した。犠牲者を乗せた二つの担架が、狂ったように泣き叫ぶ人々とともに運ばれてきた。体を覆っているシーツが一瞬めくられると、そこには、原形をとどめた「胴体」と呼べるようなものがなかった。われわれが狙われた地域からそう遠くない場所での、戦車の砲弾による犠牲だった。

 “軍事侵攻”を受けるというのはこういうことだ。いつ何時、どこから銃弾が、砲弾が、ミサイルが飛んできて、命を奪われるか分からない。ただ、それが自分の身に降りかからないよう祈るだけであるということを
、これほどまでに思い知ったことはなかった。

 この街は、二年前の大規模な侵攻の際にも多くの犠牲者を出している。その後、昨年八月、ガザからの撤退後、命を狙われないという意味での最低限の「自由」を得たのもつかの間、再びイスラエル軍の戦車の、戦闘機の、スナイパーの標的となっている。

 同じ日、イスラエル軍はこの街でアラブ系テレビ局アルジャジーラのクルーも襲った。危険を察知したスタッフが撮影現場を離れたその直後、イスラエル軍の戦車から、クルーが撮影していた民家が砲撃を受けた。とっさの機転で彼らは九死に一生を得た。

 十七日、同じ街でパレスチナの通信社ラマタンのオフィスがイスラエル軍により占拠され、スタッフとその家族が拘束された。取材車は破壊され、スタッフの家族は人間の盾として使われた。

 メディアはイスラエル軍の対応に危機感を強めている。ラマタンのスタッフはこう語る。「イスラエル軍は一般市民の犠牲を隠すためメディアに対して攻撃を仕掛けている。ゲームのルールが変わったのだ。新しいルールの下で、何が起こるかはわれわれには予想できない」

■「安全な暮らし子供たちに…」

 十八日、イスラエル軍が街から後退すると、サマーハの家族を再び訪ねた。戦車も兵士も見えないが、時折、迫撃砲と無人攻撃機からのミサイルが撃ち込まれ、爆音を響かせる。人々は「この程度は何でもない」と侵攻で命を落とした人々の葬儀を行った。サマーハの父親は言った。「どうせすぐにイスラエル軍は戻ってくるだろう。できる時に葬儀をしなくてはな」

 サマーハの母は語った。

 「ほしいのは、子供たちが身の危険を感ぜずに生きていける当たり前の暮らしです。パレスチナ人がそれを望むのは、ぜいたくなんですか?」

 外国人の私は、今回のことに懲りればガザを離れればいいだけのことだ。しかし彼らには、逃げる場所はない。彼女の言葉をどう受け止めればいいのか。「あなたたちの子供が大切で、私たちの子供が大切ではないと言うんですか? 私たちにとっても、子供は大切なんですよ」

■ガザ全体の犠牲3週間で120人に

 三日間の侵攻で、小さなこのベイトハヌーンで十四人が命を奪われた。ガザ全体では、約三週間で約百二十人が犠牲になっている。


 二十四日もイスラエル軍のアパッチヘリがガザ市の住宅にミサイルを撃ち込んだ。これが、イスラエルの歴史的な偉業、和平への偉大な一歩と喧伝(けんでん)された「ガザからの撤退」からわずか一年後の現実だ。 
(引用終わり)

・・・・・正しい情報が入ってこないように「強者によって」仕組まれているんですね。で、私達はまんまと騙されている。「正しい情報の遮断も戦争の一部」な現実に、背筋が寒くなると同時に、その中で命がけで取材を続けていらっしゃる大月啓介さんのような方々を、これれからも応援しなければ。

再び、布引さんのコメントに戻ります。
> 数千年前の旧約聖書の記述を根拠にしてヨーロッパ人によって作られた人造国家に果たして、どれ程の存在理由があるのか疑問です。

「まんが パレスチナ問題」を読んで強く受けた印象もまさにこれ。「2000年近くも迫害と放浪の旅を続けたユダヤ人」には、確かに「被害者的一面」もあるでしょうが、イスラエル建国のいきさつを読むと、いかに白人が身勝手で狡猾であるかが見えてきます。パレスチナ人側から見たら、自分達が古くから住んでいた土地に勝手にユダヤ人が入り込んできたのです。ユダヤ人に追い出されたパレスチナ人は「難民」になってヨルダン川西岸やガザ地区に逃げ出し、残してきた土地や財産はイスラエルに没収されたのです。こんな仕打ちをされたら、怒るのも無理ないと思うのですが・・・。

主人公の一人、少年アリが言います。
ユダヤ人を迫害したり虐殺したのは、いつもヨーロッパのキリスト教国じゃないか。オスマン・トルコやグラナダ王国なんかのイスラム国では、イスラム教徒とユダヤ人は平和に共存していたんだ。パレスチナでも1000年以上平和に一緒に暮らしてた。
ヨーロッパの国々も、ユダヤ人を差別しないで社会に同化する事を認めて、共存していれば問題はなかったのに、ユダヤ人を迫害したり、虐殺したりして、人道上の問題になって収集がつかなくなったんで、パレスチナにユダヤ人問題を押し付けただけじゃないか。」

今回イスラエルがレバノンやガザ地区を攻撃している事についても、日本で報じられている「対ヒズボラ、対ハマスとのテロとの戦い」という目で見るのは、アメリカが支援しているイスラエル寄りの見方でしかないという事を感じました。

それにしてもアメリカは、自国の有利になるならどんな事でもしますね。
「ゲリラだろうが、フセインだろうが、アメリカと敵対している国と戦うなら、見境なく支援して、ガンガン武器を与える。」そして、「一度与えた武器は二度と回収できないし、ゲリラとして訓練された人は戦争が終わっても普通の人には戻れない。」(P204)
アメリカが与え続け、広げ続けた傷口は、いったいどこまで大きくなるのだろうと思うと、アジアで緊張が高まる事で「第二の冷戦」状態を作り出し、儲かるのはいったい誰?利用されるのはどこの国?という言わずもがなの不安が胸をよぎります。これでもなお、「アメリカは日本を守ってくれる。」なんて信じている人がおおぜいいるこの国って、どれだけお目出度い国なんだろう・・・。

> ユダヤ人はアラブ人のセム族の一氏族の筈ですが、今の主要なイスラエル人はヨーロッパ白人のユダヤ教徒でしか有りません。
> 元々のユダヤ人たちの子孫は、ユダヤ王国滅亡後数千年の後イスラム化して現在のパレスチナ人と交じり合った可能性の方が高いでしょう。 

皮膚や髪の色などの生物的特徴で分けられるのが「人種」、言語や宗教、歴史や伝統の共有で分けられるのが「民族」で、民族の確固たる定義なんて無いのだそうです。ところが民族意識には、「おれたちは、あいつらとは違うんだ。」って意識がベースにあるから、優越感、差別、憎しみなんかとすぐに結びついてしまう。
この本の最後の方では、ちょっとしたどんでん返しがあって「民族意識なんてフィクションなんだ」って事を痛感させるストーリーになっています。

今迄の私の記述では、「元凶はヨーロッパとアメリカ白人である」ゆえに、「ヒズボラとハマス擁護」みたいな論調になってしまっているので、誤解を招かないためにここでちょいフォローをいれておきます。

第三の主人公である「ねこ」が言います。(P83)
「宗教って、伝染病みたいなものだニャ。一神教は中東の風土病ニャのだ。普通は地続きで感染していくんだけれど、大航海時代になって、ザビエルみたいな強力なキャリアー(病原菌を持った人)が船で旅行をすると、あっちこっちで患者が出るんニャ。先住民の虐殺だ、殉教だって、死ぬ人も大勢出る。風土病だったのが、世界病にニャってしまうのだ。流行を止めるには、港を封鎖して、国を閉じるしかニャい。つまり鎖国するっきゃニャいのだ。人間はなんで、こうまでして自分たちの宗教を広めなきゃいけニャいのか?そもそも、本当に宗教って、人間に必要ニャのか?ねこにはわからニャいのだ。」

そして、本来は人を救ったり癒したりするはずだった宗教が、憎しみの連鎖によって形を変えていく。
アリは言います。
テロリストを作るのは貧困じゃない。絶望なんだ。将来に希望があれば貧乏だって耐えられるし、人を愛する事だって出来るんだ。」

ガザ地区でも「テロの報復だ」という名目で、イスラエル軍によって毎日のように容赦なく人が殺されるのだそうです。そのためにユダヤ人に対する憎しみがわきあがり、その心を静めようとモスクに行くと、過激派のメンバーがいて、「この世は敵だ。自爆テロを行って殉教者になれ。そうすれば天国に召されるし毎月の生活費も保証する。」と誘うのだそうです。憎しみを利用して暴力を肯定するやり方、神の名を借りた殺人の肯定にはどうしても賛成する事が出来ません。

「ねこ」も言っています。(P242)
「宗教は人間の最善の部分を引き出すように作られているはずだけど、時として、人間の一番邪悪な部分、『憎しみ』を引き出しちゃうニョだ。経済が原因の戦争なら、大損をすれば戦争をやめるのだが、宗教がらみで『聖戦』となってしまうと、損をしようが、自分が滅んでしまおうが戦いをやめない。」

・・・こんな終わりのない闇の中に、日本が巻き込まれないように祈るばかりです。そのためには冷静で外交上手な「大人の」リーダーの存在が必要不可欠なのですが、この国ときたら・・・・(ちょい個人的に鎖国モード?!)

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2006年7月28日 (金)

パレスチナ問題 (前編)

いや~~~、今日は久しぶりに一人でパソコンの前に座ってるぜ。(小さいコドモが夏休みだと親に自由は無いのだ。)

「パレスチナ問題」に関しては、情けない事に今まで「対岸の火事」的な見方しか出来ないでいた。しかし今回の小泉総理の中東訪問の意味がさっぱり理解できないうえに、この前から「イスラエルとレバノン」の情勢が気になっているのにTVではほとんど報道されないし、新聞やネットでも温度差がかなりある。

で、新書サイズで読みやすく、イラストも可愛い 山井教雄さんの 「まんが パレスチナ問題」を、読んでみた。

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                                                                                 最初に言っておくけど、ワシは高卒、しかもまるまるグレていたうえに「世界史」の先生が大嫌いで授業なんてマトモに受けていなかったもんだから、大人になって、新聞を読むようになってからの断片的な情報でしかパレスチナ問題について知る事はなかった。
それでも、「十字軍」には、はじめから悪いイメージしかなかったし、アメリカのやり方にも不信感いっぱいだったから、イスラエルの主張より、アラブ諸国の主張の方が正しいのではないかと「何となく」思っていたのだった。
それが、この本を読む事でその「何となく」の部分がスッキリ整理されて、「ガッテン!!ガッテン!」って感じになった。                                                                   

この本では、紀元前19世紀からアラファト議長が死去した2004年までの長~い歴史をイラストも含めて265ページで解説。専門家から見れば「超ダイジェスト版」なのだろうけど、私から見れば、初めて知らされた事実も多く、バラバラだったパズルのパーツがうまく繋がって、とてもわかりやすかった。

「まんが」とうたってあるだけあって、フィクションの登場人物「ユダヤ人の少年ニッシム」と、「パレスチナ人の少年アリ」が双方の立場から感想を言い合っていたり、作者の分身的な存在の「ねこ」が時々ハッとするような発言をしたりする。また、政治の風刺漫画テイストでところどころに各国のリーダーの似顔絵が書かれているのも面白く、あっという間に読めてしまった。

で、具体的な感想。(無知ゆえにお馬鹿な感想で申し訳ないのだが)
イスラム教徒といえば、小学生の時に見たプロレスラーの「タイガー・ジェット・シン」みたいなイメージで、「戒律に背くやつは即斬首!!」みたいな「問答無用の野蛮な宗教」というイメージを刷り込まれてきた。
男尊女卑的な部分というのはあるだろうし、一神教そのものが私は好きでないのだが、それでも、この本を読む限りでは、イスラム教徒はそれほど「怖い」宗教ではないばかりか、「十字軍以前にはユダヤ教徒やキリスト教徒とも、互いに共存していた」ということが解ってきた。

その共存関係を狂わせたのがローマ法王ウルバヌス2世が神の名において始めた「正義と悪、聖と汚れ」の戦い。法王は十字軍を結成して「聖地エルサレムを異教徒から取り戻せ」の排他的なスローガンのもと、「悪」であるイスラム教徒やユダヤ教徒に戦いを挑んだ。
曰く、「イスラム教徒やユダヤ教徒は『悪』だから、殺せば殺すほど神は喜ぶ」んだって。
それで、「異教徒を殺した罪は許され、戦死したキリスト教徒は天国へ召される」らしいのだ。
この人が、そう言ったらしいよ。↓

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                                                       いやはや、「戦前」の天皇制や、オウムの「ポア」や、ブッシュちゃんたちの「キリスト教右派」が主張する思考回路の原点は、こんな所にあったんですね~~~!  

今迄、「パレスチナゲリラ」や「イスラム過激派」に対して、「暴力的なテロ組織でコワい」という先入観があったのだけど、この本を読むと、「追い詰められて他に手段を選べない」姿が見えてきて、もちろん暴力や武力はいけない事だけれど、暴力や武力を使わなければいけないところまで追い込まれたのは誰のせい?と、問い詰めたくなってしまった。
残念ながら、一番怖くて悪いのは十字軍以降のキリスト教原理主義者だと、言わざるを得ないかもしれない。

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・・・と、私はこの本から、現在の「パレスチナ問題」の根っこは、「十字軍以来の宗教戦争」という感覚で捕らえたのだが、その後検索して見つけた「パレスチナ情報センター Staff Note」早尾貴紀さんのブログでは、「まんが パレスチナ問題」を、「その見方は実は『宗教紛争』だとか『報復合戦』というマスコミのステロタイプと通底するものだと思います。両論併記で客観性を装うもので、かえってこの100年のシオニズムの占領の歴史の本質を見失わせるのではないかという危惧を持ちます。」と、バッサリ。
パレスチナ問題を、「シオニズムの占領の歴史に本質がある」「この100年の問題で、ヨーロッパの排他的民族主義に端を発するユダヤ人差別に根本的な原因がある」という視点で見ると、「奈良本氏の『きみはパレスチナを知っているか』が入門書としてお勧め」だとおっしゃっている。

う~~ん、「パレスチナ問題」深く知ろうとすると底なしなのかも知れん・・・。(ああ、時間が欲しい。)

「まんが パレスチナ問題」の検索つながりのご縁で、偶然発見した「パレスチナ情報センター Staff Note」早尾貴紀さんのブログだけれど、その中にとても興味深いエントリーがあったので、ここにご紹介します。↓

「拉致」報道に「ミサイル」報道――日本のこと(だけ)ではありません 

これを読むと、いかに私達がTVから真実を伝えられていないかがわかります。マスコミが垂れ流す「拉致」「テロ」という言葉の使い方にも、注意を払わなければいけないのかも知れません。(布引洋さんも前回のエントリーのコメント欄でおっしゃっています。)
続きは、気が向けば明日エントリします。ではでは。(だからワシ夏休みは自由が無いっつ~の!!)

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2006年7月22日 (土)

戦争のニュースばかりの日常

何でこんなにいっぱいニュースがあるの?!
ってなくらいめまぐるしく流動する世の中で、情報収集しながらバランス取って自分の意見を書く事って、ホント難しい。だから今回はライトに書きなぐってみようと思う。

●テポドン騒ぎ「敵基地攻撃論」について
「熱くなれない」でも書いたけど、私は「先制攻撃論」からも「陰謀論」からも遠く離れたところに居たい。
だからって、難しい本読んで自論を展開するなんてシロウトにはとてもムリ。でも、そういう「フツーの生活してる人」にとってもこの国の進む道は気になるところ。

7月13日にたまたま観た「朝ズバ!」で、みのもんたが「いつミサイルが飛んでくるかわからないなんて、怖いですね~。国民感情としては、先制攻撃もありなんじゃなかと思うんですけど・・。」のような、「確信犯的」突っ込みを入れていたことに対して、軍事評論家の田岡俊次さんは、
ただのミサイル実験に対してやたらに怖がるのは平和ボケの一種」と一掃。
直前にアメリカと日本がハワイでミサイル実験をやったことへの挑発である。」とのヨミ。
(「アメリカと日本がミサイル実験やってたなんて、皆さん知ってました~~??」と、みのもんたが言ったかどうかは定かではないが。)

ちなみにどこかのブログで見かけた記事では、「落とす場所については、中国などの内陸に向けて撃ったらさらに問題になるわけだし、あの角度で飛ばすしかなかったのではないか。」なんて分析があった。
「日本海」に落ちたということがTVニュースなどでことさら強調されたせいか、「航行する漁船に当たったらどうする!」って思った人も多いだろうけど、聞くところによるとあのエリアはロシアの軍事領海内で、日本の漁船どころか一般の船舶も立ち入り禁止の区域だという。
こういう情報は、ブログでは入手できるけどTVでは全くなくて、そう言う意味でも「朝スバ!」が田岡俊次さんをコメンテーターに迎えた事は、快挙だったと思う。

「安倍さんや額賀さんが『敵基地攻撃論』、麻生さんが『先制攻撃論』を出されていますが、それについては?
という質問には、
「テポドンは発射台が確認できるから攻撃は可能」だが、「スカッドやノドンなどの短距離ミサイルは発射台がトレーラーのようなものに積まれていて移動が可能な上に、ふだんはトンネルのようなところに隠れている」のだそうだ。皆さん知ってました~?
発射する直前にトンネルから出て撃てばいいわけだから、気付いたときには間に合わない。つまりピンポイントのミサイル基地攻撃は事実上不可能。」なんだって。ふむふむ。

つまり、「脅威を防ぐにはそれらを同時に全部つぶさないといけないが、それは敵基地を占領しない限り不可能であり、海外派兵して戦争ということになる。」のだそうだ。う~ん、じゃあ戦争しかけますか?!ってワケだけど、
終結のシナリオも勝算もないくせに戦争というのは無謀。」「もし日本が勝ったとしても、最終的には『自爆テロ』の脅威にさらされる事になるだろう。」とのこと。
で、結論として外交しかない。わけだ。
「核を処理する事が最終目的なのだから、北朝鮮を6カ国協議に復帰させて話し合う努力をするしかない。」という、安倍ちゃん額賀ちゃんからは絶対に出てこないであろう緻密で冷静な意見、とても参考になった。

ほとんど役に立たないミサイル防衛システムのために多額の税金(確か一兆円?)をつぎ込む事は詐欺だ。」とまで言っていたよ。でも私もそう思う。アメリカ様や武器商人が喜ぶだけだって。
なのにこの国のリーダーときたら、揃いもそろって「やられるまえにやってしまおう。」で、その低脳ぶりには「元不良」の私でさえお口あんぐりだ。
自分達の利益のためには国民に犠牲になってもらいやしょう、ってのが本音なんだと思う。後で慌てて否定しても、みえみえだよ。

軍事的な脅威から国を守るのが自衛隊の役目だとしたら、自衛隊員はもちろんのこと国民の血を一滴も流させないように外交的努力をするのが政治家の役目でしょ?それがこれじゃあ正反対だ。ほんとうに、こんな判断しか出来ない阿呆な政治家達、一刻も早く引退してもらいたいよ。

だいたい、戦争になったら拉致被害者はどうなるの?!安倍ちゃん拉致被害者の味方じゃなかったの?!
それでもまだ、相変わらずの安倍ちゃん人気。「戦争したがっている人間こそリーダーにふさわしい。」って人が多いのか、はたまた「何か難しくてよくわからないけどテポドン怖いし~。」って人が多いのか、「何か難しくてよくわからないけど安倍さん見た目が良いし~。」って人が多いのか・・・。謎である。それほどまでに日本と言う国は病んでいるという事なのだろうか?

小泉チンピラ外交とはよく言ったものだけど、先制攻撃論、核武装論まで飛び出した勇み足の安倍外交、「あいつも持ってるから俺達も持とうぜ~。」て、チンピラ通り越してもはや「ガキの発想」。
「総理と防衛庁長官に任せておけば大丈夫」by額賀・・・なわけないじゃん!(爆爆)


核を処理する事が最終目的なのだから、北朝鮮を6カ国協議に復帰させて話し合う努力をするしかない。」と田岡さんもおっしゃってるし、多くの冷静な政治家(あんまり好きじゃなかったけど今回はエライぞ山拓さんとか)もそう思っている事だろう。
では、具体的にどのように北朝鮮を説得するか、これは難しすぎる問題で、「国連憲章第7章」なんて言葉も今回初めて聞いた私には、「経済制裁」と「圧力」の区別もはっきり付かない。だからここは真剣に、わかりやすい議論を交わしている「お玉おばさん」のところのこのエントリーが参考になると思う。
ここでLooperさんがおっしゃっている事は、軍事的解決や日本一国だけの経済制裁にも反対の私にとっては興味深い。
特に、以下の部分は、田岡さんの意見から私が汲み取ったニュアンスと近くて、しかもさらに詳しく書かれているので必見。(以下一部箇条書きにて引用。)

「先制攻撃論」について。
> これらは戦争がおきた時のための対策であるが、戦争がコントロール可能だと思っているのがそもそも「平和ボケ」だ。
> 「先制攻撃」で相手のすべてのミサイルを叩けるわけがない。
> こちらが先制攻撃体制を整えたら、相手もその体制を作ろうとするし、「先制攻撃」する権利があることになってしまう。
> 日本海沿岸には、たくさんの原発があり、このうち一基でも攻撃をうければ、チェルノブ イリかそれ以上の大惨事が発生してしまいかねない。
> それだけ日本という国は攻撃にもろく、いったん戦争になったら大惨事は必至。

「MDシステム」について。
> これも役に立たない代物だと明らかになっている。
http://www.usatoday.com/news/washington/2006-06-20-missile-defense_x.htm
↑ 「MDシステムはまだ開発段階で、その能力には限界がある」と書かれている。
http://fairuse.100webcustomers.com/fairenough/latimes216.html
↑ 「好天時で飛行データが事前にすべて分かっていて、実際よりもゆっくり飛ばした実験でさえも、命中率が50%しかなかった」と書かれている。
> 全てを迎撃できるなんていうのはまさに夢物語だということだ。こんな 不確かなものに、わたしたちの血税を大量に注ぎ込んで、日本政府はいったい何を守ろうというのだろうか?
> 喜ぶのは、使い物にならない失敗作で大もうけをす る米日の武器関連企業だけだ。

(引用ここまで)

「北朝鮮をゆるやかに普通の国にする」という道は、果てしなく遠いようにも感じるし、
北朝鮮国内で、国民の間から「革命」ムードが流れて民主化が進むようになるのが一番良いのかもしれない・・・。などと、シロウトながらも、いろいろ考えさせられる。
結論はどうあれ、このようなことについて「議論し合う」心の余裕が大切なのに、「やられるまえにやってしまおう」と考えている政治家にはそれが全く見当たらない。

●小泉「ハズカシ~」外交について
未だ根強い安倍ちゃんファンがいる事と同じくらい不思議なのが、この人、小泉さん。
アメリカでのイカレたパホーマンスに赤面した人も多いと思うけど、帰国直後に北朝鮮のミサイル実験が行われた事に対して「オレはついてる。」だって・・・・。
「戦争、戦争!!」ってキイキイ叫ぶよりはマシかもしれないけれど、総理のやってきた事が国民のためではなく全て「自分の美学のため」だったって事がここでもバレてしまったね。その後の外遊でラクダに乗って浮かれてる姿も失笑を買ったけど、極めつけは、コレ。
いつもステキなバナーとシャープなエントリーのSOBAさんのブログ、必見です!

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                                                ユダヤ教の「嘆きの壁」でユダヤ帽を被り祈りを捧げる小泉総理。(・・・・・・・・。

イスラエル軍がレバノンに侵攻したのが7月12日、この写真の日付が日本時間7月13日、ということで、これじゃ~、本人(馬鹿だから)意図してなくても、イスラム教徒からみたら、「イスラエルの味方、ユダヤ教徒の仲間の日本国総理大臣」をアピールして挑発してるようにしか見えない。

7月22日現在で、レバノン側に340人もの民間人の死者がでているこの戦争を「支持します」、って世界に発信したも同然の軽ハズミな行為、これでイスラム過激派から反感を買って日本がテロの標的になったらどうすんの?「テロとの戦い」って、「テロリストをつぶす事」じゃなくて、「テロが起きないように最善をつくす」ことだと思うんだけど、小泉のやってる事は、これまた火に油を注ぐ正反対の行為。

(国内では、「東京都が9月に実施する総合防災訓練に在日米軍が参加する方向」なんて新聞見出を発見、「正義のアメリカ様は私達日本人を守ってくれる」アピールに余念がない。アメリカ様と仲良くするほど、テロの危険性は高まると思うのだが・・・。)

今回の「嘆きの壁参拝」を見てると、「靖国参拝」も「特攻隊の手紙を見て涙」も、彼にとっては「中身のないパフォーマンス」だった事がよくわかってくる。こんな阿呆の自己陶酔、自己満足のために、中国や韓国だけでなくイスラム国家まで敵に回すことになるとしたら、あまりにもナサケナイ。そんな時でもこの男、私を支持したのは国民の自由で自己責任だ。と涼しい顔で逃げるんだろうけど。

この後書こうと思っているのは、
●自衛隊とイラクについて
●昭和天皇メモについて
・・・・って、図らずも全部戦争がらみ
フツーの主婦に、こんないらん心配までさせて、一体どうなっておるのだこの国は!(怒)
そしてもう一方では、津波で犠牲になった多くの人のことや、大雨の被害にあったかたたちのことを思うと、胸が痛む。
一個人では何も出来ないもどかしさに、せめて海面上昇や異常気象を起こさないためにCO2削減を心がけようと思うワシなのだ。戦争なんてやってる場合じゃないよ~~。

つうことで、Blog-Bluesさんとこでキヨシローの替え歌をエントリしてくれたのに刺激されて、こんなページを発見!病床のキヨシローを応援しつつ、16年も前に現在を予見していたかのような彼の鋭い皮膚感覚をじっくり堪能して下せえ。

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2006年7月19日 (水)

東京新聞へようこそ(^^)

ヨソの新聞では全く違うニュースがトップを飾るなかで、今回も充実の東京新聞!だから好き!
オフィシャルHPでも見ることが出来ますが、すぐにリンク切れになってしまうので、こちらにコピペしておきます。

本日の一面記事は、こちら。

イラク陸自 実弾装てん 
<車列襲撃 発砲寸前だった>

 昨年六月、イラクに派遣されていた陸上自衛隊の車列近くで爆発があり、高機動車が破損した事件で、爆発直後、車列の隊員が銃に実弾を装てんし、戦闘態勢を整えていたことが分かった。発砲には至らなかったが、“戦地派遣”の危険な現実を示した。十四年に及ぶ自衛隊海外派遣の歴史で実弾装てんが判明したのは初めて。

 この事件は昨年六月二十三日、前後を軽装甲機動車で警護された高機動車二台がサマワ市内を通過中、道路右側の遠隔操作爆弾が破裂した。高機動車一両のフロントガラスにひびが入り、ドアが破損した。

 複数の防衛庁関係者によると、爆発直後に軽装甲機動車の警備隊員らが車載の五・五六ミリ機関銃を操作して弾倉から実弾を銃内に送り込み、発射態勢を整えた。同時に砂漠の中を逃走する人物を目撃したが、車列は方向転換して宿営地に戻った。

 移動中だった隊員約二十人は武器を所持しており、何人が実弾を装てんしたのか判明していないが、犯人が銃などで襲撃していれば、撃ち合いになった可能性がある。当時、伝えられたより、はるかに緊迫した場面だった。

 隊員は宿営地から外出する場合、小銃や拳銃を携行し、車両には機関銃を搭載した。いずれも実弾の入った弾倉を差し込んだ「半装てん」と呼ばれる状態で、このままでは発射できない。発射するには銃を操作して実弾を薬室に送り込む「装てん」の動作が必要になる。

 隊員はイラク特措法によって正当防衛、緊急避難であれば、発砲することが認められる。しかし、実弾装てんは武器使用に直結するため、防衛庁は武器使用基準を定め、「緊急事態を除き、指揮官の命令がなければ行ってはならない」と制限していた。

 この事件では指揮官に当たる群長は同行しておらず、関係者は「犯人は車列を待ち伏せ、遠隔操作で爆弾を破裂させている。危険が切迫しており、指揮官の命令がいらない緊急事態に当たる」という。

 報告を受けた防衛庁は、隊員らの行動を「訓練通りの対応」として問題にしなかった。事件後の昨年十二月、政府は派遣延長を決定。派遣期間は、今月十七日に隊員全員がイラクからクウェートへ移動するまで二年半に及んだ。

<メモ> 陸自車両襲撃事件

 昨年6月23日、補修した道路の完工式に向かうため、隊員約20人が分乗した4台の車両がサマワ市内を通過中に、道路右側で爆弾が破裂した。遠隔操作に使用した装置が見つかっており、自衛隊車両を待ち伏せした疑いが強い。

そしていつも充実の<特報>でも見開き二ページでイラク自衛隊関連の特集。

イラク居残り 空自の役割は 
<地元民近寄らず タクシーも命がけ>
 

 イラクから陸上自衛隊は完全撤収した。戦闘による犠牲者は一人も出さず、人道復興支援任務を終えた。一方、継続して派遣され、しかも活動が拡大されるのが、クウェートを拠点に輸送任務を担当する航空自衛隊だ。武装勢力による攻撃が続くバグダッド空港にも飛ぶことになる。同空港も「非戦闘地域」と政府は強弁するが、そこまでして居残る空自の役割とは-。

 「非戦闘地域という言い方は当てはまらない」

 イラクで取材を続けるジャパンプレスのジャーナリスト・山本美香氏は、苦笑する。

 「半年ほど前、バグダッド空港にいたら、敷地内にロケット弾が七、八発、連射で撃ち込まれ、すごいごう音と揺れだった。空港職員たちは『しょっちゅうだよ』という反応だったし、現地特派員たちも、ちょっとした着弾では記事を書かないぐらい日常化している。C130輸送機に着弾しない保証は、どこにもない」

 額賀福志郎防衛庁長官は先月の衆院イラク復興支援特別委員会で「バグダッド空港は非戦闘地域であり、自衛隊の活動対象になる」と説明したが、山本氏は現場の現実との開きに半ばあきれ顔だ。

 空自はC130輸送機で米軍などの輸送支援を継続するが、イラク北部やバグダッド空港にも離着陸することになる。これまでも輸送機に乗る隊員はヘルメットと防弾チョッキを着用してきた。さらに空自広報担当者は「現時点で考え得る最高レベルの技術で対策を取った」と話す。

■最高レベルの装備というが…

 具体的には▽ミサイルが飛んできたことを探知する装置▽輸送機からおとりの熱源を飛ばし、赤外線誘導ミサイルの照準を回避するフレア▽コックピットの上に首だけ出して外を監視するための半球形の窓バブルウインドー▽コックピットまわりの防弾板▽被弾しても燃料に引火しにくくする防弾フォーム-などを装備したという。

 だがバグダッド空港を行き来する航空機が、武装勢力から攻撃を受けてきたのも事実だ。一昨年一月、米軍の大型輸送機が、同空港離陸直後に地上から攻撃を受け、エンジン一基が爆発、緊急着陸した。昨年一月にもバグダッドから飛び立った英軍C130輸送機が攻撃を受け墜落、乗員十人が死亡した。一昨年十一月にはイラク北部で、米軍のC130輸送機が地上からミサイル攻撃を受けた。左翼エンジンに被弾し、着陸までの約十分間、火を噴き続けたという。

 イラク人もバグダッド空港を敬遠する。「空港入り口に自動車爆弾が突っ込んだこともあるし、周辺には多国籍軍に敵対的な人々が住んでおり、市民は空港に近寄りたがらない。空港とバグダッド市内はタクシーで三十分ぐらいだが、運転手も命がけだから十万円ぐらいの料金を取る。空港に出入りする時は、銃を携えたボディーガードを同乗させ、前後にも車を配置して時速百キロで突っ走る必要がある」と山本氏は言う。

 さらに「空港周辺はヤシの林もあれば、民家もあり、空港が丸見えのポイントが多数ある。空港警備が厳重になったことで、逆にむやみな狙い方になっている」と指摘する。

 軍事評論家の神浦元彰氏は「携帯型の対空ミサイルは(狙撃手の安全上)一〇-一五度、上向きで撃つが(狙撃手に)背中を向けて離陸する航空機は、それにちょうどよい。C130だったらエンジンが大破し、翼が折れる事態もあるのではないか」と心配する。

 イラクに派遣した自衛隊五千五百人のうち、帰国後六人が自殺している。原因は不明だが、派遣中は過度の緊張を強いられていたことは事実だ。空自も今後、危険が増す。早速今月、空自の交代要員約百人が現地に向かった。空自の活動拡大で自衛隊は「撤収」ではなくただの「配置換え」との印象を受ける。

 小泉首相は陸自撤収について「一発の弾も撃たず、一人の死傷者も出さず終えることができたのは大変うれしい」と自画自賛した。だから残留する空自も同様に犠牲を出さず、任務を全うできるだろうと言いたいようだが、政治評論家の森田実氏は「残留する空自が担う役割は、陸自とは全く違う」と指摘する。

 「陸自の派遣はブッシュ政権を世界の中で孤立させないためという政治的な狙いを持っていた。これに対し、空自は実質的に米軍と一体化し、軍事行動を行おうとしている」

 保坂展人衆院議員(社民)は残留する空自の役割を「空飛ぶトラック」と形容する。「サマワの陸自は限られた地域で、人道復興支援という枠組みにとどまったが、空自の役割は限定されていない。水や薬品だけを運ぶわけではないはずだ。米兵を輸送する任務を与えられれば、米国の戦争に巻き込まれることになる」と危ぐする。

 その上、政府・与党内では、今年十二月にイラク特措法が期限切れを迎えるのに備え、国連などの決議なしに自衛隊の迅速な海外派遣を可能にする「恒久法」の制定に向けた議論が出始めている。

 安倍晋三官房長官は「自民党で検討が行われている」と言い、額賀長官も「何か起こったときに、新しい法律をつくるのではなく、その時の状況判断で自衛隊の活用ができる環境をつくっていくことがこれからの課題だ」と説く。恒久法問題が次期政権の課題の一つになるのは間違いない。

 これに国際教養大学の白鳥令特任教授(政治学)は「急激に変わる現在の国際情勢下では、むしろ恒久法ではなく時限を定め、そのたびに更新するかどうかを議論するサンセット法(時限立法)で対処するのが世界の趨勢(すうせい)だ」と反論する。

 恒久法制定は、自衛隊を派遣するか、しないかなどの重要な決定を内閣の判断に任せてしまうことになる。サンセット法は国民の間に議論がある事柄について、国民の目が届くという利点がある。「イラク特措法もサンセット法だったおかげで、この時期に陸自が撤収できた。これが恒久法だったらできなかっただろう」と白鳥氏は指摘する。

 恒久法制定は日本独自の判断で自衛隊を海外に派遣する「普通の国」に転換させるとされる。しかし森田氏は「現実には米国に追随することにしかならない」と喝破する。

 「自衛隊のイラク派遣も国連決議に基づくものではなく、米国の要請に応じただけのこと。このままでは自衛隊は米軍の下請け軍隊になってしまう。その危険が目前に迫っているのに、どこからも反対の声は聞こえてこない。犬養毅首相が殺害された五・一五事件(一九三二年)のとき、あるジャーナリストは『誰も発言しないことこそが最も恐ろしい』と書いた。今、その状況と似てきている」


■「多国籍軍輸送力 十分のはずだが」

 神浦氏は空自隊員の気持ちをこう代弁する。「そもそも、多国籍軍の輸送力で足りているのに、ブッシュ大統領から言われたから(空自を残す)というのが本当のところ。自衛隊員は、おかしいと思っても、自分が拒否すれば別の隊員が行かされるから、黙って行くしかない。そんな彼らの安全を、本当に保証できるのか。空自としては、たまらない話だろう」

<デスクメモ>

 「陸自はおにぎり、海自はカレー、空自はハンバーガーを食べる」。気質の違いを表現した言葉だ。陸自は各部隊に地元出身が多く郷土愛が強い。海自は伝統を重んじる。空自はエリート意識高く、アメリカナイズされているという。空自は戦後出発した部隊で、兵器も訓練も米軍と二人三脚。一体化には適任? (鈴)

東京新聞とってない、という方、ブックマークをおススメします。(^^)
って、ワシ回し者か?!
東京新聞ホームページへようこそ

http://www.tokyo-np.co.jp/

自衛隊の海外派遣、恒久法、終わりのないアメリカが仕掛ける戦争、テポドン騒ぎ、先制攻撃論と、
憲法9条が危機にさらされて毎日考える事多すぎ!!(最近私生活でも多忙なのに~~~ TT)
でも、自分の言葉で、ちびちびエントリーするつもりなので、今後ともよろしくお願いします!
(って、趣味もトラウマもごちゃまぜだぜ!)

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2006年7月17日 (月)

トラウマ② やられる前にやってしまおう

「紫の花」の一件(トラウマ①参照)で「親は私を守ってくれないし理解しようともしない」と悟った私は、「親の思い描く理想通りの良い子ちゃん」を演じる小学校生活を送るようになった。
流行の服を着ることもなく、流行っている歌謡曲や、みんなに人気のアニメのTVを見ることもなく、汚い言葉使いはせず、先生の言うこともハイハイとよく聞いて。気が付くと、周囲の子供達から著しく浮いた存在になっていた。

あとはお察しのとおり。最初は数人、それが女子全体に広がり、クラス全員から「無視」されるようになるまで時間はかからなかった。(あとで聞くところによると、クラスのリーダー格の女子が「あいつと口をきかないように」とふれまわっていたらしい。)

そのリーダーには数人の取り巻きがいて、リーダーの一声をその数人が皆に伝達する仕組みになっており、いじめは「無視」からだんだんエスカレートして、当番や荷物運びに誰も協力してくれない、教科書への罵詈雑言いたずら書き、靴を隠す、持ち物が捨てられる投げられる、プールの着替えのときに男子数人が周りを取り囲んではやしたてる、椅子に座らせてもらえないのにすわった格好のまま授業を受け続けるなど、心身ともにフルコースのいじめを味わわせていただいた。担任教師は当然気付いてもよさそうなものだと思うが、直接のリアクションは最後までなかった。

普通の家庭ならば、親に相談するという逃げ道があるのだろうが、我が家自体が父を中心とした「ファッショ体制」で成り立っており、さらに都合の悪い事には、両親とも「差別主義者」的傾向が強かった。
「朝鮮人」や「部落民」に対しても、「差別されるにはそれ相応の理由がある」「差別される方が悪い」というスタンスを私も信じ込まされており、「いじめにあうのは私に原因があるのだ。」と、まず自分を責めた。
加えて、「紫の花」ごときでうろたえる両親が、「理想的優等生のわが子が実はクラスでは村八分」なんて事実を知ったら、どんな反応をされるかわかったものではない。そんなわけで、私は「村八分」の事実を、絶対に絶対に家庭に持ち込んではいけないのだった。

心の中の自分との対話が救いだった。そのために「人形」があり、日記や絵画などの「創作」があった。しかし決して内にばかり引きこもっていたわけではない。案外冒険心と好奇心旺盛だったため、「行ってはいけない」といわれている場所に、コッソリ出かけていくようなところもあった。以前にも書いたが、本屋でエロ劇画あさり、廃墟や工場に忍び込むのも好きだったし、古くからある神社のお祭りに行くのも大好きだった。

ここでは毎年見世物小屋の興行があり、門構えのドロドロした雰囲気は刺激的だった。
「子供だけで入るとさらわれて見世物にされちゃうよ。」という噂がまことしやかに囁かれており、さすがに中まで入る勇気は無かった。
境内までの石段には、左右に「戦争被害者」という看板や布切れを掲げ、軍服を着た手足のない「元軍人」が無言のまま並んでおり、足元には募金箱、テープレコーダーからは軍歌が流れていた。
その音と、見世物小屋のオヤジのいかがわしいダミ声の口上とが重なり合って、匂い立つような幻想的な風景が鳥居まで続いていた。

実生活で「ファッショ」に痛めつけられて、「マイノリティーの声に出来ない苦しみ」を、痛いほど感じていた私は、この手足のないよぼよぼの「元軍人さん」達に、言いようのない親しみを感じていたが、それすらも母の「あんなの、乞食の資金稼ぎでしょ。」の一言で否定されるのだった。

幸い、いじめられている事については最後まで隠し通せたが、「思春期の大事な娘を男女共学でビンボー人割合の多い低レベルの公立中学なんかに行かせたくない」との理由で、私立の女子校に通うことになった。
ところが時を同じくして会社が倒産。その余波は周囲まで連鎖倒産させるほど大きく、ヤクザと債権者の靴でいっぱいの玄関からは危険すぎて入れず、毎日窓から出入りして学校に通うことに。
しかもこんなオオゴトになっているのにこの期に及んで親は「いじめられると困るから、この事は絶対学校では言っては駄目。」と、今さらながらピントのずれた心配をする始末だった。

そんな中、親族での会議が開かれ、おじやおばが「借金で他人に迷惑をかけておいて娘は金持ちのお嬢様学校に通わせるなんて世間が許さない。」と、私の公立学校行きをすすめるなか、「もともと借金は人の保証人になった事がきっかけなのだから、そのことで攻められる筋合いはない。今さら公立に行っても子供が虐められるだけだ。」と両親は譲らず、「保証人になるっていうのは、それだけのリスクがある事を覚悟の上でやるべきで、貴方(父)にも責任はある。他人に迷惑をかけていることへの自覚がなさすぎる。」と親戚の一人が言えば、「困っている人を助けて何が悪い!」と父が居直り、当然話し合いは決裂した。
それ以降毎日のように親からおじやおばのの悪口を聞かされるようになり、もはや親戚ですら味方ではなくなってしまった。

「お嬢様学校」の制服を着て出かける私に近所の目も冷たく、「娘にかける金があるなら残りの給料払え!」と元従業員が連日文句を言いに来たり、車に金属のようなもので傷がつけられていたり、ある深夜には、派手な服を着た、しかしえらくやつれた中年女性が突然訪れて「貴方の会社のせいで連鎖倒産させられた家の家内です。あれから借金を返すために夜の仕事をしなければならなくなって、家族はバラバラ、もう精神も限界です。」と、玄関の前で泣き腫らす姿を見ても、子供心にはどうする事も出来ず、ただ罪の意識だけが膨らむばかりだった。

お金になりそうなものは全て処分しても焼け石に水、結局住み慣れた家は人手に渡る事になった。
私は業者が部屋からピアノを運び出す作業を、ボーっと眺めていた。その姿が「とても悲しそうに見えた。」と父が言っていたと、母から聞いた。
倒産した事について、父から私には直接の謝罪はなかったが、母の言葉から父の気持ちを察する事が出来た。
それにしても、私は「強制的に」ピアノを習わされていたので、ピアノがなくなって内心スッキリしていたのだ。それすらも分らないほど親子の間に溝が出来ていたとは、何とも皮肉な話だ。

「今までのような生活は出来ないのだから、思い出にしがみついていても仕方がない」と、思い出の本やレコード、取り貯めた8ミリフィルム、コレクションした人形の一部は、ゴミになった。前後して母の病状はますます悪化、ほとんど寝たきりになった母を介護してくれる「お手伝いさん」も今は無く、母の体を拭いたりトイレの世話をする介護の半分は、私の役目になった。

この頃の私には、なぜ自分にだけこのような苦しみが次々に襲ってくるのかが理解できず、その答えを聖書に求めた。
イエスキリストは弱者の味方だと感じたが、その教義を教えている学校側は弱者に冷たかった。その矛盾をシスターに問い詰めた。そのせいか否かはわからないが、「貴方は悪魔的」だと言われた。
教育者、それも「キリスト教の伝道者」に言われたこの一言は、金属で頭を殴られたのと同じくらいの衝撃だった。私が今まで「よかれ」と思ってやってきた事への全否定と受け取った。
この一言で、私という「機械」は、完全に壊れてしまった。

病人だけが待つ家に帰るのがいやで、かといって話す相手もなく、学校帰りに公園のベンチでぼーっと過ごすことが多くなった。昼下がりの公園は、家族連れの楽しそうな笑いであふれている。
突然お腹の底から怒りがこみ上げて来て、コイツラを全員殺してしまいたいという強い衝動にかられた。その頃から、周囲の人間が皆私の悪口を言っていると感じるようになっていった。すれ違う人に突然刺されるんじゃないかと真剣に怖くなり出して、「護身用」に小さなナイフを鞄に入れて持ち歩くようになった。郵便受けの中に手紙ではなくアゲハの幼虫がびっしり入っているような妄想に取り付かれた。(実際には督促状の山が入っていたのだが。)朝出かける時も、玄関のドアを開けるとそこに猫の生首が置かれているんじゃないかという恐怖がつきまとった。自分の周りの空気だけが隔離されている感じがした。寝ている間にベッドに吸い込まれて消えてしまえたらどんなに楽かと想像した。平静を装うのも、自分を責めるのももう限界だった。

コ レ は 私 が 悪 い の で は な い ん じ ゃ な い か ?
コ レ は 全 て 世 の 中 が 悪 い の で は な い か ?


刀を振り回して、通行人を無差別にバサバサと切り倒していく自分を夢想したり、独裁者になった自分が高笑いをしながら核兵器のボタンを押すところを夢想することが習慣になった。
高校一年の時に酒を飲むようになった。カレシと言われるものも出来た。着替えを持ち歩いて、ディスコやクラブにも通うようになった。お金はそこらにいる男子を引っ掛ければ、当たり前のように出してくれるし、車で送ってくれるので遊ぶ金にはちっとも困らなかった。怖い思いも何回かしたが、今まで背負ってきた苦しみから逃げられると思えばどうってことなかった。平気で嘘をつき、平気で人の家庭を壊した。
神などいない。私はただゴミのように死ぬだけだ。その前に世間に、幸福そうなやつらに復讐をしてやるのだと、真剣に考えていた。
四面楚歌!周囲は敵!皆敵!!!

「や ら れ る 前 に や っ て し ま お う 。」


北朝鮮に対する安倍ちゃんや額賀ちゃん達の発言かと思われそうだけど、残念!コレ、10代~20代前半の私の「座右の銘。」(爆)
(他にも「目には目を」「臥薪嘗胆」なんて言葉も大好きだった。)
そして、このように考えてしまう精神構造はどう考えても普通じゃない、病んでいるとしか思えない、と今となっては背筋が寒くなるのだ。

人は結局、自分の体験というフィルターを通してしかものを見れないのだと思う。
だからこそ今言えることがあると私は考える。こんな弱くてナサケナイ青春時代と国家を結びつけて考える事ははなはだ失敬な事だと苦笑しつつも、もし国全体の風潮が、「やられる前にやってしまおう。」という方向に流れて行ってしまうとしたら、それは「病んでいる」と言わざるを得ない、と、どうしても思ってしまうのだった。(いや、一部の政治家以外はそこまで病んではいないさ、という微かな希望も込めて・・・。)

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2006年7月13日 (木)

またまた息抜きまくり・・・

ベートーベンの「第九」といえば、「喜びの歌」なんて日本名の歌詞までついてるくらいのポピュラーソングで、母が「子守唄がわり」に歌ってくれた歌でもあり、忠臣蔵(←大嫌い)と並んで、年末の風物詩って感じだけど、「時計仕掛けのオレンジ」を観てからは、私にとっての意味合いが180度変わった曲でもある。
(その後「エヴァンゲリオン」などにも使われて、ますます含蓄を深めたこの楽曲)ドイツ語の発音にもあこがれて、大昔、「ドイツ語で丸暗記」して唄う努力までしていた。(^^;)暗記はけっこうサクサク進んだのだけど、典型的大和民族であるワシにとって一番難しかったのが「巻き舌」の発音。これはもう、毎日練習して、すこ~しづつ「巻ける」ようになって・・・。
そんな努力経験してるもんだから、飲み屋とかで「すごい巻き舌」で喋っているヤクザ風のオジサンとか見ると、「ワルそうに見えるけど、実は一人でいる時努力してんのかな?」と、微笑ましくなったりも、した。
かれこれ20年位前のお話でした。

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2006年7月12日 (水)

一休み、一休み。

横浜人形の家に行ってきました。

過去に何回か行った事があるのだが、今回リニューアルしてキレイになったぶん、展示の数が減ったように感じたのだが、気のせいかなあ?
キューピーやキャラクター系のコンポジションドールとか、豆市松人形の着せ替えセットとか、もっといろいろあったような・・・???

まあでも、過去に兼高かおるが館長つとめていただけあって、「世界の民族人形」コレクションはスバラシイね。
「あ、コレ持ってる。」「これ昔ウチにもあったのに・・・」って人形がたくさんあった。
(ちなみに1960~1970年代の我が家の日曜の朝は、「時事放談」「自然のアルバム」「兼高かおる世界の旅」のテーマが象徴している。全部口づさめるぜ~~~)

高級なビスクドールや市松人形、段飾りのお雛様も良いけれど、おもわず写真におさめてしまったのが、コレと、コレ。(クリックしてね。)

Dscn2433s_1

                                                                                                                                                                                                                  

Dscn2421s_1

  

                                                   ・・・どんな人が作って、どんな人が買っていったんだろ・・・・・あ、ワシみたいな人か・・・・。と、妙に感情移入してしまいました。
(このスズメのキャラって・・・・・。)

もっと書きたいことあるのだが、また今夜!!
TB、コメントくださったみなさんも、いつもありがとうです。(*^^*)

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2006年7月 7日 (金)

熱くなれない・・・

いろいろ言いたい事はあるのだが、軍事について全く素人ゆえに、今回のテポドン発射、踏み込んだ記事を書く自信がない。
で、とりあえずいろんなブログを徘徊して、気になる言葉、印象深いフレーズを拾ってみた。

ある極左系ブログでは(もっとも、これはあまりにも極端な意見で「釣り」ではないかと思うのだけど。)
「ミサイル発射は危機でなく我々地球市民にとっての祝砲」
と、帝国主義との戦い(?)に火が付いた事を喜んでいた。

かと思えばある右翼系OLブログでは、
「これはまさしく北朝鮮が喧嘩を売っていると言える。喧嘩イコール戦争です。」とし、
「自衛隊には次の核の発射を阻止する義務があります
自衛隊は北朝鮮の基地を叩きに行かざるをえないでしょうね。
この期に及んで、まだ話し合いで戦争を避けようって言っている人。
核爆弾が日本で万が一にでも爆発する事態になっても、
それでもまだ・・・『話し合いでなんとかしよう』なんて言えるのですかね?」
と、戦争になることをあおって自衛隊を戦地へ駆り立てるような発言をしてたりする。

北朝鮮の行動は不可解で忌々しきものだけど、
「戦争!戦争!」って、ヒステリックになるのもどうかと思った一日目。

24時間経った今日、改めて新聞、ブログに目を通してみる。
さすがに冷静な分析も増えている。
なぜあの場所に落としたのかという推測では、
「アラスカまで飛ばしてしまったらアメリカに報復攻撃される可能性があるから意図的にロシア近海に落した」と言うような分析から、
「テポドン2号は完成度が低く、どこに落下するか予測できず、テポドン1号より危険度は逆に高い」
というヨミまでさまざま。

発射の動機についても、
「アメリカに振り向いてもらいたかった」説から、
「北朝鮮国内向けのプロパガンダ」説、
株価操作」説、
「拉致の追求を煙に巻く」説、
「金正日政権にとって何の得にもならない行為は軍部の暴走」説、
「やぶれかぶれの最後っ屁」説、
「燃料入れちゃったから飛ばすしかなかった」説と、さまざまな情報が飛び交っている。
どうやら、情報通のプロの人達の間でも意見が分かれているようだ。
これじゃあ、素人の私にわかるわけがないよ、と納得。

個人的には、「何をするかわからない」居直り強盗みたいな北朝鮮の態度には閉口するが、それでも今回、私は比較的冷静なのである。(だから文章に勢いがないのね、と自己分析。)

だって、今回のミサイル発射で一番得をするのって、ブッシュ政権と親米ポチだろ、って思うから。
「アメリカは、日本が防衛本能に目覚め、 憲法改正に一気に向かうことを狙ってるみたいだ。」とどこかのコメント欄に書いてあった。
なるほど日本と北朝鮮との間で緊張が高まれば、世論は改憲に流れる。
そうすれば、自衛隊を利用する事が出来るし、武器は売れるしで、アメリカ様右派右派・・・じゃなかった、ウハウハって構図だ。

そういえば、「教育基本法改定、共謀罪、改憲、恒久法の制定」推進派で、どう見ても戦争をしたがっているとしか思えない「安倍ちゃん」が、妙にキイキイ・・・じゃなかった、イキイキと水を得た魚のように、TVに出まくっているもんね。

「もし日本にミサイルが飛んできたら、憲法9条があっても意味がない。」っていう意見があるみたいだけど、
「もし日本にミサイルが飛んできたら、憲法変えても意味がない。」ってのも言えるんじゃないのかなあ?
世界一の軍を誇るアメリカがテロを止められないのと同じように。
だからまあ、ありきたりの意見だけど「ここは話し合いで解決」しか、道はないんじゃないのかなあ?
それに何より、いずれは自滅する北朝鮮ごときのためにアメリカに利用されて自衛隊が戦争に駆り出される事になったら、嫌だよね。

無知な人間が、随分勝手なことを、って、書いてて思うけど、ここは北朝鮮と違って「自由の国日本」らしいから、大目に見てもらおう・・・。眠いし。(う~~テンション低~~~~~フェイアウト・・・・・)

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2006年7月 2日 (日)

地に堕とされた「自由」

眠いっ・・・。寝る事意外すべて義務に感じてしまうほど、眠いぞ・・・・。

靖国参拝について、「何回行こうが問題にならない。個人の自由だ。」という小泉総理の発言を聞くにつけ、
「あたしの体なんだから、何をしようと自由でしょ。」とのたまう援交少女を思い浮かべてしまうのは私だけ?
そんな「自由な総理」は、「自由の国アメリカ大統領」と共に、「自由なロケンローラー」のお家に遊びに行っちゃうんだから、さすが「自由民主党の党首」だよね。

そんなに「自由」の大切さを知ってるんなら、国民も自由にさせて欲しいもんだけど、
「国歌斉唱時に起立しなくても問題にならない。個人の自由だ。」とは言わせてもらえないところが、この国の「片思い」・・・つうか、リーダー達の「自由」のために、ワシら都合よく利用されてる?
この状況、「グーで殴る」ようなS男にぞっこんで、お金も自由もむしり取られてもまだ信じてるM女を思い浮かべてしまうのは私だけ?
しかもなにやらヘンな病気まで伝染されそうな気配まで・・・。
なんて、つらつら考えていたら、今朝の東京新聞でこんな記事発見。(以下引用)


 ■教育勅語幼稚園で暗唱 ~戸惑う保護者も~

 大阪市の私立塚本幼稚園(淀川区、約二百三十人)と私立南港さくら幼稚園(住之江区、約百八十人)が、年長組の園児約百二十人に、教育勅語を暗唱させていることが一日、分かった。

 園側は「幼児期から愛国心、公共心、道徳心をはぐくむためにも教育勅語の精神が必要と確信している」と説明しているが、文部科学省幼児教育課は「教育勅語を教えるのは適当ではない。教育要領でも園児に勅語を暗唱させることは想定していない」としている。

 両幼稚園の園長を務める籠池靖憲氏によると、幼児期から古典に親しむため、一昨年から月一回、年長組の園児を対象に論語の勉強を始めたが、「教育の神髄を短い言葉で伝えているのが教育勅語」と考え、昨年十月ごろから教育勅語を教えているという。

 年長組の園児は毎日、一時間目の授業の初めに担任の指導で教育勅語を暗唱。保護者にも口語の訳文に「今こそ教育勅語の精神が必要」という園長の所感を添えて配布したという。

 ある保護者は「こういう教育をするとは知らずに入園させた」と戸惑いをみせるが、園側は「保護者の不満の声は聞いていない」としている。

 籠池園長は「戦争にいざなった負の側面を際立たせ、正しい側面から目をそむけさせることには疑問を感じる。親を敬い、自分を高めるという精神を体現すれば、無軌道な方向には行かない」と話している。

 大阪市内の私立幼稚園で一日、園児に教育勅語を暗唱させていることが分かった。通常国会では教育基本法改正をめぐり焦点となった「愛国心」との関連で教育勅語が議論になった。小泉純一郎首相は「教育勅語の復活を意図するものではない」と答弁したが、自民党内などには教育勅語に盛り込まれた道徳の理念を復活させるべきだとの声も根強い。

 首相当時「日本は天皇を中心にした神の国」と発言した自民党の森喜朗氏は、教育基本法について「国の歴史、文化に全く触れていない。個人が強く出て、公が欠けている」と批判。「戦前は教育勅語の中に哲学、思想が入っていた」と評価した。河村建夫元文部科学相も在任当時「教育勅語には道徳的観念があったが、排除決議がされた。大事なことは隅にやられ、教育の根本理念から外された」と話した。

 政府の教育基本法改正案は「我が国と郷土を愛する態度」との表現で愛国心を盛り込んだが、小泉首相は「教育上の目標で、児童や生徒の内心に立ち入って強制するのではない」と説明した。

 ■現代にはそぐわず

 沖田行司同志社大学大学院教授(教育史)の話 意味を理解する前に暗記させる教育方法はあるが、題材に教育勅語を選ぶのはいかがなものか。個々の道徳項目に問題はないといっても、教育勅語は天皇主権をうたっており、国民主権の現代にはそぐわない。幼稚園児には宗教、学問の自由を侵す結果となった教育勅語の歴史的経緯を理解できず、無理がある。

 教育勅語 正式には「教育ニ関スル勅語」という。明治天皇の名で国民道徳の根源や教育の基本理念を明示、1890年に発布された。臣民の忠孝を「国体の精華」とたたえ、父母への孝行、夫婦の和、博愛、義勇奉公など12の道徳項目を記した。学校への配布や礼拝、奉読が進むにつれ「御真影」(天皇、皇后両陛下の写真)とともに奉安殿に保管されるなど神聖化され、昭和期の軍国主義教育と結び付いた。衆参両院は1948年、排除や失効を決議した。

(引用終わり)

最近の政治家を見てると、「自由」と言う意味は、「好き勝手」「他人の迷惑を顧みない態度」にまで堕落させられてしまった、と思わずにはいられない。
そのくせ、うんざりするような事件が起きるたびに、「これは悪しき戦後教育のせいだ」と無理やりこじつけて、戦前の道徳を持ち出すのが大好き。
しかもそれ言ってるのが、「小泉路線継承者のうえにカルト統一協会に祝電送ってる安倍ちゃん」だったりするんだから、開いた口がふさがらない。

自分達の「好き勝手」のために、国民にだけ「道徳」とか「忠誠心」とかを強要させるなんて、北朝鮮もいいとこだ。だいたい、「教育勅語」がそんなに素晴らしいものだったら、戦争なんておきてなかったんじゃないの?

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