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2006年10月19日 (木)

共謀罪やら死刑廃止やら教育基本法やら

ここ数日、ブログの事はスイッチオフにして、ひさしぶりに映画見に行ったり、人形や小物を整理したり、タイミング良く友人から嬉しい知らせがあったりして、すっかりリラックスモード。

そういやブログ始める前は、毎日こんなノンビリらくちん生活してたっけ。(遠い目)
吸い込む空気の美味しさや、愛する人達と可愛いものに囲まれたほんわかした生活に満足して、こんな日々がいつまでも続きますように・・・って始めたブログだったんだっけ。

それがいつの間にか、TVを観ては怒り、新聞読んでは眉間にシワを寄せ、片手には焼酎、家族の寝静まったあとコッソリ抜け出してはキーボードを打ち込む「不健康オヤジ」みたいな生活になっていた。

こりゃ初心に返って、「しゅふが しあわせを いじするために ささやかに はつげんする ぶろぐ」に戻らねば(爆)

・・・とか言っちゃって、今日も政治ネタリンク3連発なんですけどね。
(^^;)

●その(1)
あの「共謀罪」が10月24日に強行採決?!との情報が。

情報流通促進計画byヤメ記者弁護士
とむ丸の夢
お玉おばさんでもわかる政治のお話
薫のハムニダ日記
華氏451度

●その(2)
コメント欄で、常連の「かぴらつこ」さんに「知らないキャラがいっぱいだ~」と言われてふと気が付いた。
「死刑廃止問題リレー」の詳しい紹介をしていなかったのだ!
ってことで、あらためてご紹介。
「とりあえず」のLuxemburgさんのところの「麗子お嬢様とばあや」+フランス通の「玲奈お嬢様」が死刑廃止というテーマを引っさげて各ブログを訪問する、というココロミに、ワタクシ無謀にも参加してみたのでした。

1回目 とりあえず
2回目 お玉おばさんでもわかる政治のお話
3回目 とむ丸の夢
4回目 華氏451度
5回目 doll and peace
6回目 薫のハムニダ日記
7回目 村野瀬玲奈
8回目 喜八ログ

最後の喜八さんの所では、村野瀬玲奈お嬢様の渾身の翻訳による、
ロベール・バダンテールの演説」全文を、読む事ができます。

●その(3)
教育基本法についてのエントリーは、
お玉さんのところが面白い!!


ホント、たった数日間ワシが平和ボケかましてる間に、どんどんいろいろな事が起きるもんだ。
とりあえず、リンク先に飛んでくだされプリーズ!!!
それにしても皆スゴイ行動力なのだ。ワシはマイペースに行くしかないのだが。(^^;)

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2006年10月17日 (火)

長期メンテでお休みだよ~

毎日のぞいて下さる皆様、あたたかいコメントや中身のあるTBを送ってくださる皆様、本当に感謝々々です。
書きたいこと、お返事したい事は山ほどあって、脳味噌はちきれんばかりのワタクシですが、最近パソコンに向かう時間が激減しています。
それもそのはず、

1) ここのところのミョーな政治情勢でげんなり、
2) 私生活でも行事が多すぎてげっそり、
3) ブログを開けばスパムTB&コメントがワラワラでうんざり、

・・・の三重苦。

さらに17日~19日まで、ココログがメンテナンス期間との事、
ここは前向きに考えて、ちょいと息抜き、ってコトで、休み明けには「三重苦」から開放される予定。(希望)

人形写真でも撮りためて、ひさびさにUPしようかなあ?
それでは、また明々後日!!(*^^*)

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2006年10月 5日 (木)

うまれかわり (ドールコレクターが喋りまくる死刑廃止論)

さて「死刑廃止論行脚」5件目は・・・

華氏さん宅近くの公園を後にした麗子さまご一行、車を走らせている。窓からは、同じような形をした小さな家が積み木のように並ぶ宅地風景。
「まあ。ずいぶんと玩具みたいな家並みね。」そのなかでもひときわ玩具めいた(ピンクの壁に赤い屋根の四角いお家)の前で車は止まる。

玄関を開けて小さな土間をまたぐと、応接間も無く、すぐに「生活スペース」へと通されアゼンとするお嬢様。

「ようこそ。気取っていても仕方ないと思って、あえて普段どおりです。」と、リプトン印の紙のついたティーバッグが入ったストレートティーをお盆に乗せて持ってくる住人「ぷら」。一応「上流階級は紅茶」という思い込みのもと気遣いはしているものと思われる。(ちなみにこのティーバッグは当然再利用される)

お嬢様ご一行部屋を見渡ししばし絶句。「これが噂のコレクタールーム・・・・」壁にも棚にも、床の上にも、無数の「ハードプラスティックドール」や古い縫いぐるみが、所狭しと並べられている。

麗子 「わたくし、大勢の瞳に見つめられて、何だかクラクラしてきましたわ。それにこの狭さ・・・」

すかさず、「いや~ここ来た人は、皆そう言うんですよ~。ワシなんかは、顔の付いたものに囲まれてると、なんかこう、落ち着くというか、癒されてしまうんですけどね~。」と、ぷら。

ふと目をを横にやると、そこには手、足、頭、胴体がバラバラになった人形たちが。

ぷら 「ああ、それはこれから、古くなったパーツを付け替えて、きちんともとの形に戻すの。ぼろぼろになった人形を、少しでも当時の状態に近付けるのも楽しみの一つでね。」

麗子 「人形は、昔からお好きですの?」

ぷら 「子供の頃から人形には癒されていたよ。でも、接し方は今と180度違っていたけどね。」

麗子 「と、いいますと?」

ぷら 「子供の頃はね、人形を壊すのが趣味だったの。」

早口でぷらは続ける。(どうもこの人、自分のトラウマについて語りだすと周りが見えなくなってしまうらしい。)

「今でこそ初対面の人にもタメ口のワシだけどね~。ワシの両親は、それはそれは躾の厳しい人たちで・・・家族の中でも敬語使うことを強制させられてたよ。母親にも、言う事聞かないとしょっちゅうピシピシたたかれてたなあ・・・。口答えするんじゃありません、屁理屈には聞く耳持ちません、って、反論も全く受け付けてくれなくてねえ・・・ものすごいストレスだった。で、それを何で発散してたか、つうと、人形。」

玲奈 「当時はバービーちゃんとかタミーちゃんとか、リカちゃんとかが流行ったのよね。」

ぷら 「そうそう。それで、ワシもけっこう沢山持ってて。で、身ぐるみはがして、髪の毛引きちぎって、手足、首をもぎ取って土に埋めたりして遊んでた。何か、『こうしなきゃ気がすまないっ』って感じの、強い衝動で。母の手作り布人形なんかも、変形するまで引っ張ったり、何度も何度も壁に叩きつけたりしてね。で、人形に向かって、母が私に言ったことと同じセリフを言ったりして。人形に『私』を投影してたんだね。自分がやられてるのと同じ事を、人形にやって辛うじて精神のバランスを保っていたような・・・・。」

玲奈 「うわ・・・ぷらさん、自分が苦しめられたら誰かほかの人に復讐したい、という情動を生々しく経験したのですね。」

ぷら 「自分でもあの頃振り返るとぞっとするよ。だって、『壊したい』って衝動が、人形から小動物へ、最終的には人間へと向かって行ってたからね。たまたまワシが女で『非力』(ナイフ振り回して大量殺人するほどの体力がないという意味で)だったことと、ギリギリのところで、友人や恋人の存在が家族というトラウマから開放させてくれたことが幸いして殺人犯にはならなかったけど、10代の頃は、かなりキワドイ心理状態だったと思うよ。だから、殺人犯の心理もわからなくはないんだ。」

玲奈 「みんながみんなこういう経験を持っているわけじゃないけど、『こんな奴は死刑にしろ』とつるし上げにする前に、その犯罪者の背景を理解しようとつとめることは必要ですよね。」

ぷら 「でも、凶悪事件が起きると、母が言うのよ。『ホントにひどい!こんな犯人、死刑にしても足りない、私が被害者の親だったら、犯人の目玉をくりぬいてなぶり殺しても足りないくらいだ。』ってね。正義感に燃えた、激しい母だった。で、その激しい正義感のために、我が子ががんじがらめになってるって事にも、全く気付いてない。でも『良い子』を演じる事が板についてたワシは、もう反論する気も無くて、笑顔で『そうね。』と答えつつ、心の中では、『その鬼畜殺人犯とオマエの可愛い娘は、もうすでに紙一重だよ~~ん!残念でした!』と、舌を出していたものだ。(爆)」

玲奈 「うわ~ぷらさん、瞳孔開いてきちゃってるよ。大丈夫かなあ?お嬢様をここにお連れしたのは失敗だったかしら?」

麗子(小声で) 「ばあや、私怖いわ。」

ばあや 「お嬢様、もうすこしお話を聞いてあげましょう。言いたい事言い尽くしたらたぶん落ち着くのではと思いますよ。こういう珍しい人の存在を知るのも社会勉強の一部です。」

ぷら 「同じ小学校に、親に酷い虐待を受けている男の子が居てね、うちの場合は主に言葉の暴力とストレスだったけど、その子の場合は体罰。いつも生傷が絶えなくて、おどおどした感じの子だった。殴る蹴るの他にも、煙草の火を押し付けられたり、水のお風呂に入れさせられたりしてるんだ、などという噂がまことしやかに流れていて・・・にもかかわらず、誰もその子を助けようとしなかった

それからだいぶたって、近くの町で女の子が殺された。犯人がその男の子だと知ったとき、『やっぱり』と思うのと同時に、『それでも彼も被害者なんだ』という気持ちが、どうしても消えなかった。『彼は、自分が親にされたことを、自分より弱い子供にしてしまったのだ』って。」

ばあや 「ぷらさん、その男の子にご自分を投影なさったのですね。」

麗子 「ぷらさんにとっては凶悪犯とて被害者。だから死刑には反対なんですのね。」

玲奈 「バダンテールが演説で、こう言っています。
犠牲者の不幸と苦しみについては、それを引き合いに出す人々よりもずっと、私は自分の人生の中でひんぱんに、その影響の広がりを確かめてきました。犯罪が人間の不幸の遭遇点であり地理的場所であるということを、私は誰よりも熟知しております。犠牲者自身の不幸と、それ以上に、犠牲者の親族や近親者の不幸があります。また、犯罪者の親族の不幸もあります。そして、たいへんに多くの場合、殺人者の不幸もあります。そうです。犯罪は不幸であります。そして、感情、理性、責任感ある男女には、まずその不幸と闘おうと望まない者はいないのです。
って。死刑にすることが本当にその不幸と闘うことかどうか、想像力を精一杯はたらかせなければいけませんね。ぷらさんの話のおかげで、少し実感できたような気がします。」

ぷら 「そう、『殺人者の不幸』は必ずあると思う。凶悪犯罪を起こすような人格が出来上がるのには、かならず原因がある。それを解明する事こそが、これから起こりうる犯罪を事前に防ぐ事にもつながるんじゃないか、って、まず考えてしまうなあ。
とはいえ、やはり殺人は罪だから、罰を受ける必要はある。ただ、その罰として死刑はふさわしくない。自分の経験からしかものが言えないけど、無差別に人を殺したくなるほど追い詰められた人間は、自分が死ぬ事も怖くない。現に私自身、殺したい衝動と、自殺したい衝動は常に表裏一体だったし。そしてどうせなら『派手に死にたい』とまで願っていた。

だから、池田小の事件がおきて、宅間被告が『自殺するつもりでやった』と発言したときも、やはりこういう人物があらわれてしまったか・・・という思いは否定できなかった。悲しい事だけど・・・。あと、テロリストなんかも、殉教は名誉な事なんだから、死は恐れないよね。
だから、自暴自棄で死を望む人間にとっては『終身刑』のほうがよほど怖いんじゃないかなあ。人間性が戻ったときに、自分の罪と向き合わなければならないから。自由を奪われた上に死ぬ事もできず、いつかどこかで、必ず自分の犯した罪を悔やむ時が来るから。その瞬間は死よりも苦痛だと思う。」

ばあや 「バダンテール演説には
彼らの行為がどれだけ恐ろしくどれだけ憎むべきものであろうとも、完全な有罪性を持ち永遠に完全な絶望の対象にならなければならない人間はこの地上にはおりません。
という言葉もあります。凶悪犯だって、子どものことはそうではなかったと思います。凶悪な犯罪者に人間性を見ようとする努力をせずに死刑にするような社会は、犯罪者でない人々にも冷たいんじゃないかとも思います。」

麗子 「生まれながらの悪党はいないわけですね。バダンテール『そして、死刑は廃止された』という本には、極悪犯として裁判にかけられた者たちのことも書いてありますが、根っからの悪人はいないように思いましたわ。」

玲奈 「人間を信じないで、死刑制度を残していると、人心がますます荒れていくように思います。」

ぷら 「加害者には、刑務所の中で、とことん自分と被害者に向き合ってほしい。何故自分がこのような人生を歩むに至ったか、なぜ罪を犯したかを、一生をかけて考え抜いてほしい。そして生きているうちに本心からの謝罪の言葉を語ってもらいたい。それこそが、被害者やその家族をも救う事になると。人は変われるという希望も込めて・・・・・。結局、ワシは人の心の可能性を信じたいのかも知れない。」

ばあや 「人は絶望を乗り越えたときに必ず変われると、ぷらさんは信じていらっしゃるのですね。」

ぷら 「お、さすが年の功!わかってらっしゃる~(^^)ってことで、麗子お嬢様、今のワシはぜんぜんコワくないっすよ~。」

玲奈(冷めた紅茶をすすりながら) 「トンデモない人のところへ連れてきちゃったかな~。」と内心苦笑。

ぷら(人形をさすりながら) 「だからまあ、今はこうやって壊れた人形を、元に戻す作業に癒されたりするワケなのだ。
箱入りでほとんど遊ばれていない人形は、髪や衣服の乱れもなく顔も美しくて、そりゃあコレクターの憧れだよ。でも、どこかが欠けていたり、髪の毛やまつげが取れちゃってたり、目玉が中にずれて落ち込んでるような、ほとんど死体のような状態でやってきた人形を修復している時が、一番人形に感情移入している時かもしれないなあ。
ただの『モノ』に向かって、『まっててね、今もとに戻してあげるからね、もとの愛される姿にして、幸せだった頃に戻してあげるからね。』ってつぶやきながら、ヤスリをかけたり、セメダインでくっつけたり、ボディーの内側に手を突っ込んで、目玉やゴムを固定したりする。
人形を再生する作業を通して、過去に壊した人形達とともに、私のタマシイも癒されるっていうか・・・今まで失ってきたものの一部を、人形を修復する事で取り戻してるような、そんな感じなんだなあ・・・。」

玲奈(心の中で) 「やれやれ。すごい感情移入。さすが人形オタクね。」

麗子 「ぷらさん、この人形の量・・・失ってきたもの、ずいぶん多うございましたのね。(やや引き気味)」

ぷら 「調子に乗って、もうちょいうんちくっちゃって(ウンチ食っちゃってじゃないよ、薀蓄っちゃってだよ。)いいかな?・・・・姿かたちの可愛らしさと珍しさで集め始めたハードプラスティックドールだけど、ある時イギリスの売り手さんから、興味深い話を聞いたんだ。」

3人 「ふむふむ」

ぷら 「もともと初期のプラスティックって、飛行機や銃などの部品に使われていたんだって。それが、第二次世界大戦が終わって武器の需要が減って、大量に余ったプラスティックをどうしよう、って事になったとき、その有効利用の一部として誕生したのがハードプラスティックドールなんだって。」

玲奈 「だからハードプラスティックドールは1945年以降に米英でさかんに作られるようになったのね。」

ぷら 「そうなの!万一戦争が長引いていれば、ワシら日本人を殺す道具になってたかもしれない素材が、こうやって子供を楽しませる人形に生まれ変わったなんて、劇的でしょ?!その話をきいて、ワシはますますコイツラが好きになったってワケ。しかも、『人を殺すものが人を喜ばせるものに生まれ変わる』なんて、まるで生まれ変わったワシみたいじゃん。」

麗子 「素敵なお話ねえ。人形の世界から人間の世界を見せていただきました。ぷらさん、私、貴方を少し誤解していましたわ。」

ばあや 「お嬢様、やはり『違う世界』へ来てみた甲斐がありましたね。」

麗子 「違う世界といえば、外国はどうなのかしら。そういえば、何年か前に死刑廃止が取りざたされた韓国は今どうなんでしょう。
そうだ、ハムニダ薫さんというお姉さまが韓国にいるじゃありませんか。麗子、韓国に行きたいわ。韓国料理も食べたいわ。」

玲奈 「それはいい考えです、麗子さん。ばあやさん、いいですよね。」

ばあや 「そうでございますね、お嬢様の勉強になるのでしたら。」

玲奈 「そういえばお腹がすいてしまいましたね。あのかた、喋りっぱなしでしたから・・・・。」

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2006年10月 1日 (日)

日常会話で君が代、日の丸

● 「卒業式に君が代を歌わないだけで処分されるのは、おかしいよね~。」

当然、「うん、やりすぎだよね。」的な言葉が返って来るものと思って発した一言だったが、そのママ友達は、
「でも、卒業式の規律を乱すほうが迷惑なんだから、処分されて当たり前なんじゃない?だいたい、歌うか歌わないかでそんなにゴネてもしょうがないよ。」と当然のように仰るではないか!

「本来子供たちに規律正しさを指導しなければならない立場の教師が、自ら規律を乱すのは好ましくない。」
一見もっともらしい意見だけど、違和感を感じた私は、「でも、君が代の歌詞の意味を知れば、歌いたくない人がいるのもわかる気がするけどなあ・・・。」と、マイルドに突っ込んでみた。

するとそのお母さん、「え?歌詞の意味?何それ?」とケロリ。
問題の本質を一切知ろうともせずに、一方的な情報だけで善悪を判断する姿勢に「頭クラクラ」の瞬間だった。
教師が卒業式を乱してまで、処分されるというリスクを覚悟してまで取った行動には何か理由があるとは、思わないのかね?!

●ここでちょっと君が代の歌詞のルーツ。

今から1100年も前の「古今和歌集」の中に存在した「わが君は ちよにやちよに さざれ石の巌となりて 苔のむすまで」 読み人知らずのうただったらしい。
それが平安末期頃、「わが君は → 君が代は」という形うたわれるようになり、おめでたい場合の舞などに取り入れられ、大衆の幅広い支持を受けてきたのだそうだ。
この時点では、君=天皇とは特定されていなかったみたい。

明治時代になると、「日本にも国歌が必要」と考えた薩摩藩の大山巌らが「君が代」の古歌を選定し、1869年(明治2年)イギリス公使館の軍楽長に作曲させたのだそうだ。
雅楽っぽいアレンジで、曲もかなり古くから付いていたと思い込んでいたので、「メロディーは約140年前の英国製」だった事には少し驚いた。

明治2年といえば、戊辰戦争が終わった年で、この戦争での朝廷がたの戦死者を慰霊するために、東京招魂社(靖国神社の前身)が創建された年でもある。日本が「欧米化」に向けて突き進んでいた時代だと考えると、「作曲は英国人」というのも不思議ではないのかもしれない。「天皇制」自体が、欧米の一神教「キリスト教」をモデルにして作られているわけだし。

そして1880年(明治13年)、宮内省雅楽課の林広守らによって、現在の「君が代」の楽譜が完成されたということだ。ちなみに初演は同年11月3日の明治天皇誕生日で、この時点ではすでに「君=天皇」になっているようだ。で、1893年(明治26年)に「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」において祝日大祭日の儀式で歌うこととされたのだそうだ。
戦前の国定教科書には、以下のように書かれている。

> 我が國の祝日や其の他のおめでたい日の儀式には、國民は、「君が代」を歌つて、天皇陛下の御代萬歳をお祝い申し上げます。
> 「君が代」の歌は、我が天皇陛下のお治めになる此の御代は、千年も萬年も、いや、いつまでもいついつまでも續いてお栄(さか)えになるやうに。」といふ意味(いみ)で、まことにおめでたい歌であります。
> 私たち臣民が「君が代」を歌ふときには、天皇陛下の萬歳を祝ひ奉り、皇室の御栄を祈り奉る心で一ぱいになります。

こうやって、天皇=神という「一神教的な構図」が作られていったんだね。
君が代の「君」が「天皇」とイコールになって、それとほぼ同時進行で欧米化が進み、海外に向けての戦争ばかりの歴史と共に、国民を一つにするアイテムとして登場した「君が代」。
たかが歌なのかもしれないけれど、過去にその歌が果たした役割は、やはり大きかったのだろうと思う。
だからこそ、「君が代」を、金科玉条のように敬う人がいるのと同時に、歌詞を聞いただけで拒否反応を示す人もいるのだろう。

●今度は、日の丸について。

苺に林檎にサクランボ、トマトにイクラにてんとう虫・・・「赤くて丸い」ものに何故か心癒される私は、ハードプラスティックドールにもよく似合う「白地に赤い水玉もよう」の生地が大好き。

「白地に赤ドット」、といえば、連想するのが、母が子守唄代わりに唄ってくれた「白地に赤く・・・」の歌。
日本の国旗、日の丸の歌である。
戦争中もさほど苦労した事がなく、どちらかというと「右」だった母は、「兵隊さんよありがとう」とか「君が代」なども子守唄のレパートリーとしてフツーに唄っていた。私はそれが「フツーの感覚」として育った子供だった。

だから私にとっての「君が代日の丸」は、幼少時の母との思い出の一部でしかなく、個人的には、「国旗に対するアレルギー」は、さほど無いほうの部類だった。
運動会で校庭に万国旗とかが飾られるとワクワクするし、「民族衣装」とか「イッツ ア スモールワールド」的な世界が好きな私は、日の丸のデザインも、けっこう可愛いじゃん、などと思ってしまう事がある。

日出処の天子、那須与一が射た扇の紋様、合戦の旗印など、丸い太陽のデザインの歴史は古いのかもしれないが、「国旗」としては、黒船来航以降日本の船が多くの外国船と接するようになった時、「国籍を見分ける」というような、合理的な目的で使われていたのが最初なんだと思う。

近年でも、オリンピックやワールドカップのような国際的なスポーツで、「競技中にどちらが自分の応援している国かわかりやすくするため」「自分がどの国を応援しているかアピールするため」のアイテム(シンボルマーク)として国旗を使うというのは、理にかなっている。
日本の国旗がはためくのをを見ると熱くなる人にスポーツ好きが多いというのも気のせいではないだろう。私も幼少時、オリンピックで日本が優勝したときに揚がる日の丸にトキメいたクチだ。

でも、「教科書が教えない歴史」で有名な「自由主義史観研究会」のHPによると・・・

> 国歌や国旗に対して敬意をはらわなければいけないのは世界の常識です。
> 行事や式典などで国旗が掲揚されたり国歌が斉唱される場合は、たいていは起立して敬意を表します。
> 国によっては右手を胸にあてたり軍人は額の横に手をあてて敬礼をしたりします。


・・・って、「真ん中に赤い丸がついたり青や赤で模様がプリントされてる一枚の布」に対して、ここまで「敬意」を払わなければいけない理由は何なのだろう?これって偶像崇拝じゃん、って思ってしまうのは私だけだろうか?

そう思い、戦争中の日の丸の扱われ方を少し調べてみると、検索でトップにでた「たむ・たむページ」さんの「国旗・国歌のページ」に膨大な資料が・・・!(以下一部引用)

> 「日の丸」は、外国に対しては標識・船印であったが、国内に対しては天皇制権力のシンボルとしての役割を国民に対して果たした。
> そしてそれは、1889(明治22)年の大日本帝国憲法発布ごろから、析にふれ、事にふれて強調されるようになり、日清・日露戦争のころには戦意高揚の国家スローガンとして利用された。
> その後、満州事変・日中戦争・太平洋戦争へと戦端の拡大とともに、君が代と一緒に、軍国主義・国家主義の高揚の大役を担わされるようになるのである。

> つまり日本帝国軍が、海外、特にアジアにおいて「日の丸」を先頭に武力行使を行い、占領した地域で必ず日の丸を立てたため、中国をはじめアジアの各地域では、「日の丸」を悪魔のシンポルのようにおそれ、僧んだのは当然の帰結であった。


国民に対しても、「国旗を尊重すること即ち皇室の尊崇であり、国旗を尊重すること即ち国体の擁護である」という思想が植えつけられた。
戦地へ赴く兵隊さんにいっせいに日の丸を振って、心の中の悲しみを表に出すことすら許されず、「バンザーイ、バンザーイ。」と繰り返す光景、日の丸にびっしり寄せ書きや千人針をしたものを腹に巻いて敵陣に突っ込んだなんて話も聞く。軍歌や唱歌にも日の丸を題材にしたものは多い。

日の丸を見るとその時の悲しい思い出がよみがえってしまう人、そんな悲しい戦争の思い出が、ずっと「日本の象徴」であり続けることに違和感を持つ人も少なくないだろう。

そんな風に、君が代、日の丸の歴史をふりかえってみて、
「熱心で生徒思いの先生ほどこの問題を深刻に考えてしまう」というのがわかるし、「なぜ戦争で負けたときに新しい国旗や国歌をつくらなかったのだろう?」と不思議に思う。

●よその国を見てみると

国の情勢が大きく変わった時には、国旗や国歌も変えられているし、それらへの接し方も、一部の全体主義国家を除いて日本よりもおおらかでアバウトなようだ。(←お玉さんのところで村野瀬さんが紹介していたページです。)

話はそれるけど、昔みた「まんが日本むかし話」で、題名もわからないのに記憶に残ってる話がある。
村にあるお地蔵さんを、子供たちが首に縄をつけて引っ張ったり、上に馬乗りになったりしながら遊んでいる。それを見た大人たちが、「お地蔵さんを粗末にするでねえ!ばちがあたるで!」と叱りつけて、その後子供たちは、大人の言いつけを守ってはお地蔵さんを丁寧に扱う事になったのだが、ある日大人たちの夢枕にお地蔵さんがあらわれて、「子供たちとあそばせてくれ~。」
それで、今までどおりお地蔵さんと遊べるようになって、子供たちもお地蔵さんも大満足でめでたしめでたし、ってお話。

日の丸、君が代に対しても、このくらいおおらかで良いんじゃないかなあ?
君が代のメロディーの生みの親である英国の国歌も、「女王様」という一人の人を称えた歌詞になってる。そう言う意味では日本と似ていなくもないけれど、英国王室には日本ほどタブーがないように感じる。(英国人じゃないから断言は出来ないけど。)

1950年代には英国ぺディグリー社から、エリザベス女王とチャールズ皇太子、アン王女のキャラクタードールが出ているけど、服を脱がせたり撫でられまくったりしてぼろぼろになる可能性の高い幼児向けの人形を作らせちゃうなんて、英国王室、太っ腹だ。
パンクムーブメント時にもいろいろいじくり回されてるし、ダイアナさんは太った水着写真とか撮られちゃうし、ユニオンジャックもTシャツ、タオルのみならず、ティッシュケース、紙箱や貯金箱なんかの日常品にも使われて日本の100円ショップでも山積みされてるし、良くも悪くもノリが軽い。そしてその分愛されているような気がするのだ。

●私の好きな歌の一つに「イマジン」がある。

「この世から戦争をなくし、国境すらなくすほどの危険な音楽」なのだそうで(← ある友人からこのように紹介されて、大槻ケンヂ氏の「イマジン特攻隊」を読んだ。)確かに、アメリカやイギリスでは、歌うのを禁止している所もあるし、私を統一協会の魔の手から救ってくれたくらいまったく「危険な」音楽(爆)だ。

万一国歌が「イマジン」だったりしたら、たぶん私は嬉しい。
だけど猛反対する人たちが、当然出てくる。そしてもしその人たちに国がなんらかの強制をしたら、私は悲しい。内容以前に、国旗国歌とは、「強制」してまで敬意を払わねばならないもの、神格化しなければならないものだと、私は思わない。

「人間として、日本人として、国旗や国歌に敬意を表するのは当たり前」なんて言ってる輩がいるようだけど・・・想像してごらん。もし日本の国歌が「イマジン」で、それを歌わないと処罰されて、強制的に起立させられ、きちんと歌っているか声の大きさをチェックされる世界を・・・。

喜んで、「イマジン国歌」に敬意を払って起立する気に、なりますかね?
いくら私が個人的に「イマジン」を好きでも、もしそれが、多くの国民を強制させる道具に使われたとしたら、やっぱりイヤだな。そしたらやっぱり、「イマジン強制反対!」とか言ってるかもしれない。
もっとも、「国なんてない事を想像してごらん」って歌詞を、国が歌えと強制する事ってありえないんだけどネ・・・(^^;)

結局の所、私は「国家に何かを強制させられる」のが、イヤなんだと思う。右も左も関係ねえっ!!
そういう意味でも、今回の東京地裁の判決は、画期的だったんじゃないかな。

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